そもそも、すべてのインフラ需要を中国が独占して受注できるわけなどない。「世界の途上国の需要に対して、各国で協力して整備に当たる」というのが本筋だ。当然、そこにはルールが必要であり、そのルールこそがOECDがまとめる行動指針である。ところが、中国は「我々はそんなルールに縛られない」と開き直る。「それはあくまで先進国を対象としたものであり、中国は関係ない」という立場だ。

「一定のルールに基づいて公明正大な競争をすれば、ひいてはみんながハッピーになる、そういう思いで世の中が動いているはずなのだが……」(同)

中国で短期完工が可能なのは
政府による“強制”があるから

 今回の中国による受注、それがインドネシアの未来にとって最善の選択だったかという点についても疑問が残る。

 筆者は、上海の街の変遷を通して「中国式インフラ建設」というものを目の当たりにしてきた。それは住民の強制立ち退きに始まり、民衆と政府の対立、環境破壊と多くの矛盾と摩擦をもたらした。その本質を一言でいえば“政府による強制”である。インフラ建設には莫大な予算がつぎ込まれたが、その恩恵に浴したのは一部の独占企業である。

 今の中国の自信の根底には、「北京-上海の高速鉄道の3年の完工」があるが、不可能を可能にしたのは “強制”が働いたからに他ならない。しかもスピード重視となれば、当然アンフェア、不正を招き透明性が失われてしまう。果たしてそれは他国において支持されるモデルなのだろうか。

 ちなみに今年3月、スリランカ政府はコロンボ港で進められる「中国城」の建設に中止命令を出した。この計画は520万平米にショッピングセンターやホテル、オフィスビルや3戸の住宅を含む不動産開発だが、法律の抵触と環境破壊が顕在化した。ミャンマーでも2012年に銅山開発をめぐり、民衆が大規模な抗議運動に乗り出している。

 途上国で日本モデルは「展開が遅い」と不評を買っているのも事実である。だが、それには一定の合理性も認められる。経済効果の追求のみならず、住民や環境とのバランスを取るにはある程度の時間も必要なのだ。しかも、日本モデルの根底には「産業を興し、人を育て、それを裾野にまで広げる」という息の長さがある。

 残されているのは、途上国による「賢い選択」だ。そのためには、まず目先の利益を捨ててもらうしかない。「国家100年の計」を立てた国づくりにこそ、日本モデルは大きな効果を発揮するだろう。