明確なことは、アベノミクスとは現状を維持することではないということだ。非生産的、非効率的で競争力のないビジネスが、高度に規制された市場に抑圧された企業を犠牲にしながら、過度に守られ孤立した日本市場で生き延びてきた。完全に解放された市場では、日本の優位性は妨げられ、こうした企業は生き延びられないに違いない。いくつかの産業では仕事がなくなり、他の多くの分野で雇用が生まれるだろう。日本経済は勝者と敗者を明確にしながら変化し、成長していく。結果として、従業員と雇用者双方が、新しい考え、新しい同僚、新しいやり方に対して、より柔軟に、よりイノベーティブに、より透明にならざるを得ないだろう。

日本は難民を
受け入れることができるのか?

 ヨーロッパの難民危機は、もう一つの中間的見地のない議論になっている。議論の一方は、日本のような豊かで繁栄した国は5万人以上の難民を受け入れるべき、というもの。もう一方は、難民受け入れを考える前に、日本独自の国内問題を解決しなければならない、というものだ。

 双方の主張にはそれぞれに一理ある。東日本大震災と福島第一原発事故の被災者への素早い対応は、人々を助けるための資源を組織化できる、日本の巨大な能力を示すことになった。それにもかかわらず、彼ら「国内難民」の多くは、将来については店ざらしのままであり、正常な状態に戻ることはますます困難になっている。もし日本が、同じ文化、同じ言語を共有する同胞の生活再建すらできないのであれば、どうして遠い文化圏からの難民をうまく受け入れることができるだろうか。

 国際協力機構の元代表で国連難民高等弁務官の緒方貞子氏は、難民受け入れを中間的な立場から、日本の積極的な平和主義の柱とすべきであると示唆している。が、そこには多くの問題が残されているます。どのように日本は難民を社会に統合するのだろうか。文化的に似ている中国と韓国との関係構築でさえ、日本の実績は惨憺たるものなのだから。

 安倍政権の難民政策は、中東などへの財政援助を強調することによって、“難民小切手外交狽ニ評されている。また政権は、日本社会に以前からある問題を、難民受け入れを考える前に整理する必要があると認識している。一方で、多くの難民を、社会的混乱なしに受け入れることができるとする論調も正当なように思われる。なお、パリ連続テロの犯人の一人がシリア国籍の偽のパスポートを使い、難民を装ってヨーロッパに入ってきたことは、難民が安全かどうかに対する日本の見方をより一層懐疑的にしていると言われる。