日系企業のミャンマーでの健闘が続いている。2015年12月には、その開設に日系企業が大きく関わったミャンマー初の証券取引所である「ヤンゴン証券取引所(YSX)」が正式オープンした。2015年9月には、日本・ミャンマーが官民一体となって開発を進める「ミャンマー・ティラワ経済特区(SEZ)」プロジェクトの開業式典が開催された。2014年10月にはミャンマー政府が進めてきた営業認可を与える外国銀行の選考結果が発表され、申請した12ヵ国25行のうち、ミャンマー政府は6ヵ国9行に交付を決めたが、日本勢は免許申請した三菱東京UFJ銀行、三井住友銀行、みずほ銀行のすべてがそろって認可を取得。
このように、華々しい日系企業の活躍が聞こえてくる中で、まずは現在のミャンマー進出の状況を確認し、その進出における主な理由とそのリスクを見ていきたい。
ミャンマー進出の現場から
「もうこんな時間か……」。夜遅くまでオフィスに一人残り、田中は来週の経営会議用の資料を作成しながらため息をついた。今度の会議の主要な議題は、A社のミャンマー進出計画についてだ。今まで米国や欧州をはじめA社の各国への海外進出計画書を作成していた田中は、今回も同じような気持ちで作成し始めたが、どうも勝手が違うことに気がついた。進出計画立案のベースになるような、現地市場の客観的な情報があまりにも欠けており、仮にあったとしても情報の内容が粗雑なのだ。市場情報のみならず、マクロ的な数値や、消費者動向、競争企業分析など、しっかりとした計画の裏付けになるデータ入手でここまで手こずるとは思いもしなかった。「このままでは、色々と会議で突っ込まれるな。可能性は大きいだけに何とか前向きな資料を作りたいのだが……」、悩みを抱える田中の思惑とは裏腹に、夜は更けていく……。
「なんで、日本側の参加者は、しっかり意思決定ができないメンバーばかりなのか。これでは、わざわざCEOの自分がミャンマーから来た意味がないじゃないか」、言葉に怒気を含みながら、アウン・チィー・セイン(仮名)は吐き捨てた。ミャンマーの中堅建設会社のCEOである彼は、今回20社程度のミャンマー企業のCEOと一緒に訪日し、日本の某団体が主催する合同商談会に参加していた。せっかく日本に来て多くの日系企業と会えることから、高い期待感を持って参加したが、出席する日本側の企業の担当は担当者レベル。色々具体的な提案を投げかけても、帰ってくるのは生煮えの返事ばかり。「せいぜい観光でも楽しむよ」、ぽつりとつぶやいて、観光バスに乗り込んだ。
「なぜ、今になってこのような話が出てくるのか。基本合意書を交渉した時には、このような話は全くなかったではないか……」、日系企業の交渉担当者の菅沼はうなった。ミャンマーの合弁設立交渉は今まで順調に進み、びっくりするほどあっさりと基本合意書の締結まで突き進んだ。この調子でいけば、今回の交渉で最終合意も近いかなと、手ごたえを感じながら交渉の席に臨んだ彼を待ち受けていたのは、それまで全く話にも出ていなかった数々の先方からの追加要求だった。「これを、日本の上層部にどう説明すればいいのだろうか」、目の前には、日本で待っている経営上層部の顔が浮かんでくる。
新聞に躍る進出記事の裏には、それぞれ語られないドラマが潜んでいる。進出ラッシュが叫ばれるミャンマーだが、その裏には幾多の困難を乗り越えてきた担当者の苦闘がある。どのような困難があるのだろうか。またどのように乗り越えればいいのだろうか。その説明の前に、まずは現状のミャンマー進出の実情を、現地の状況を見ながら確認したい。