経営者が非常に苦しい思いをする事態のひとつが不祥事対応。発言が思うように伝わらず、メディアや世間の声に叩かれる。経営者は疑心暗鬼に陥りがちだ。安部修仁・吉野家会長に自らの経験から、メディア対応の鉄則について語ってもらった。(構成/フリージャーナリスト・室谷明津子)

メディア対応に
神経をすり減らした日々

 経営者であれ芸能人であれ、不祥事があったときの「謝罪会見」は、大いに世間をにぎわせます。特に企業絡みの場合、関係者がずらっと並び、頭を下げた瞬間にいっせいにフラッシュがたかれる――。その映像がテレビや新聞、インターネットで繰り返し流されます。

不祥事や事件につきものの「謝罪会見」。神経をすり減らすほどにハードな体験だが、安部会長はいかにして乗り越えたのだろうか Photo:日刊スポーツ/アフロ

 かくいう私も、2003年に発生したBSE問題で日本政府が米国産の牛肉の輸入を停止した後、業界を代表する立場としてこの問題に関わり、メディア対応に追われました。ですからメディアと付き合うことの難しさ、そしてそれがいかに神経をすり減らすものかを、当事者として身に染みて知っているつもりです。

前回の記事でも触れましたが、BSE問題が発生した後、われわれは専門家と勉強を重ね、科学的知見に基づいて米国産牛肉の安全性を徹底的に調査しました。その結果、「安全性に問題はないから、輸入の早期再開を求める」という立場で対外的に発言するようになりました。

 そのころ社内では、「牛丼なしで営業する。新しい事業創造に挑戦しよう」と言っていたので、牛丼を待つことで従業員にストレスがたまらないよう、「再開を待つ気持ちを捨てなさい」というメッセージを伝えていました。

 しかし外に対しては逆で、輸入再開を求める立場を崩さなかった。というのも、科学的な安全性は担保されたのだから、あとは行政や消費者の理解が進めば、問題は解決すると思っていたのです。

 いわば「話せばわかる」という私の発想は、この後、見事に覆されました。BSE問題は時間とともに社会問題化し、政治の場では「米国産牛肉の輸入再開=米国の擁護」という文脈にすり替わり、野党が与党を攻撃する恰好の材料となりました。この問題をメディアがネガティブに取り上げる機会が増え、消費者の間で「安全でない食品が出回るのではないか」という、根拠のない情緒的な不安が広がりました。気がつくと私は、米国産牛肉の輸入を待ち望む「利害当事者」になっていたのです。

 合理的、客観的に考えて発言しているつもりでしたが、世間からは利害関係者の代表として、バイアスがかかった目で見られるようになっていました。元来、私は物事に鬱屈しないほうだと思いますが、あのころだけはメディアの報じ方に過剰反応し、「俺にはこんなにひねくれた部分があったのか」と思うくらい、心がささくれ立ってしまった。

 後になって、周囲から「あの状況にしては、メディアは吉野家に好意的だった」と言われたのですが、当の私は発言したときの意図と記事のちょっとした食い違いも気になって、「なぜ伝わらないのか」といらいらする日々でした。