「独創性が求められる研究」とは?

 このように、比較する基準となる先行研究がすでにある研究と、一方で基準となるものがまったくなく、独創性が求められる研究があります。

 他に比較する基準がある研究は、比較的やさしいと言えるでしょう。研究を進めるときに、自分の研究の方向性、また結果が間違っているかどうかを、他の研究と比較することによって明確に知ることができ、軌道修正していくことが可能だからです。

 しかし、そういった文献などがまったくないテーマの研究が、今後は一番問題になるだろうと思います。

 戦後三〇年、日本の企業は欧米の技術を咀嚼して改良改善を続け、技術力を高めてきました。その結果、今日世界で最強の工業生産力と、高品質を具備するまでになったわけです。しかし、私は来たる一九八〇年代には、海外からの技術導入が非常に難しくなり、海外の競合他社から袋だたきに遭う時代になるのではないかと考えています。

 そういう状況が予想される中で、日本が工業生産、工業技術において、現在のような位置を維持していくには、どうしても欧米先進諸国が取り組んでいない、創造的な新しい研究開発をやらなければならないと思うのです。そういった他に比較する基準のないテーマを研究する者、ならびにそれをマネージする者は、自らの内に基準をもち、研究を進めることが要求されると思います。このことについて、かねて考えていることをお話しします。

「危機感」をベースとした動機づけと
目標設定

 私ども京都セラミックは、資本もない、技術もない中で創業した会社であるだけに、強い危機感がありました。また、それだけに、どうしても会社を守ろう、という強烈な意志がありました。先ほど一見できそうにない、難しい注文であっても、「できます」と見えを切って注文をとってきたと言いましたが、それも会社を守り、維持していこうという必死さから出たものなのです。

 研究開発を進めていくには、そのような強烈な思いが必要になります。ですから、研究開発をする上で一番重要なことは、動機づけと、目標設定なのです。これは大企業になればなるほど、大事なことではないかと思います。

 創業当初の京都セラミックには、「この注文はできるから受ける」「この注文はできないから受けない」というような、選択の余地はありませんでした。小さな会社でしたので、どんな注文であっても受け、製品を開発しなければ会社が存続できない、という切羽詰まった研究開発の動機があったのです。

 現在は、経営に少しゆとりができてきましたが、それでも将来を考えると、非常に不安があります。たくさんの従業員を抱え、大きくふくれあがったこの企業を、将来にわたって維持運営していくため、「こういう研究開発をどうしてもしなければならない」というように、研究者に対して、非常に強い危機感を伴う動機づけをしています。この研究開発を成し遂げられなければ、この会社は存続できないということを、経営トップから担当する研究員に至るまで、要求しています。

 このように、研究開発の動機づけと目標設定は、「同業他社がやっているからうちもやろう」というものではありません。「どうしても当社にとって必要だから」、また「これがなければ会社の将来がなくなりそうだ」という、危機感から発するものでなければならないのです。