それは、やがてブラームスとシューマンの出会いにつながります。シューマンは、ブラームスの巨大な才能を目の当たりにして驚嘆します。自身が主宰する音楽雑誌で『新しき道』として、ブラームスをべた褒めします。誰もブラームスという名を知らず聞いたこともない時期に、その後の大成功を予言したシューマン。その直後、神経を患い自殺未遂までするシューマンの遺稿になりました。

 そして、師と慕うシューマンの愛妻クララへの許されざる恋愛感情が、ブラームスの創造中枢を激しく刺激します。そこで生まれたのが、ピアノ協奏曲第1番です。ブラームス初の本格的な楽曲です。ピアノの名手にして天性のメロディーメイカーのブラームスならではの劇的な展開を見せる傑作です。

 初演は、1859年1月22日、親友ヨアヒムが指揮するハノーヴァー宮廷楽団、ピアノ独奏はブラームス自身でしたが、全く不評でした。世の中がこの曲の真価を認めるのは、14年後です。その時のピアノ奏者こそクララです。絶賛されました。人の世の縁とは不思議なものです。ベルナルト・ハイティンク指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、クラウディオ・アラウ盤が世紀の名演です。

マイルス・デイビスの死から
2週間で録音した追悼アルバム

◆キース・ジャレット “バイ・バイ・ブラックバード”

 如何なる天才と言えども、その才能が全開するには特別な刺激が不可欠です。

 キース・ジャレットは、1970年5月から71年11月までマイルス・デイビス七重奏団に参加します。この18ヵ月間、七重奏団の編成は刻一刻と変化し、音楽は急速に進化していきました。キースは、エレクトリックピアノとオルガンを担当。その変化と進化を刻む名盤「ライヴ・イヴル」(写真)がキースの雄姿を今に伝えます。彼が電気楽器を弾いたのは、後にも先にもこの時だけです。マイルスの下での音楽的冒険は、その後のキースに大きな影響を与えました。

 マイルス楽団を辞したキースは、独自の道を歩みます。それは、現代ジャズの王道です。伝統的なフォーマットの中で新たな音楽的創造を追求します。マイルスの生き方とは正反対です。マイルスは既存の型を破壊し、全く新しい型を生み続けました。