文系人にはない理系人たちの面白さはありましたか?
それが、結局のところ文系と理系の間に大きな違いはなくて、“人間は何を美しいと思い、どうしたら幸せになれるのか”という答えを求めて、同じ山を違う方向から登っているだけだったと感じました。
というのも、一番の目から鱗は、僕みたいな文系男が映画を作って人間を喜ばせたいっていうのと同じで、理系人も「人間」を幸せにしたいという一心で、人工知能とかロボットとかプログラミングとかと必死に向き合っていたということなんです。
翻って言うと、彼らほど未来の人間が何を欲し、どんなに欲しても手に入らないものが何なのかという本質を理屈でわかってる人はいないと思ったし、こっちは単純にテクノロジーとかサイエンスを学ぼうと思っていたのに、逆に人間を究極に知ってしまったところもありました。
その一方で、彼らは彼らで理系の世界だけでやっていてもブレイクスルーできないことをわかっていて、それこそ山の頂上で文系と答え合わせをする必要性や、僕らが得意とするストーリーやアートを求めているとも感じました。
理系人から学んだ一番のキーワードは?
「時代がオンラインからオフラインに戻りつつある」ということですね。
例えばロボットデザイナーの高橋智隆さんは「お金も人も急にコンピュータに集まった結果、逆にどんなにきれいなCGを作っても感動しないし、どんなに便利なアプリを使っても100円も払いたくないって感覚が押し寄せてきた。
その虚しさから、またプロダクトとかリアルなものを愛着をもって使いたいって感覚が戻っていているんじゃないか」と言っていた。
その話と、人工知能の研究者である松尾豊さんが指し示した「人工知能は日本企業が元来、得意としてきた製造業と相性がいい。かなりの部分を機械化できることで、日本はもう一度、ものづくりを強みにできるのでは」という未来や、ミドリムシの大量培養に初めて成功したユーグレナの出雲充さんが栄養食品で世界に打って出ている状況とかが、いちいちリンクして。自分のような文系のフィールドでも“もう一度オフラインの時代が戻ってきて、勝負権が僕たちに回ってきたときに、何ができるのか”ということを考えたいですね。