大正時代から現代まで、その時代の経済事象をつぶさに追ってきた『週刊ダイヤモンド』。創刊約100年となるバックナンバーでは、日本経済の現代史が語られているといってもいい。本コラムでは、100年間の『週刊ダイヤモンド』をひもときながら歴史を逆引きするのがテーマだ。今回は日本の連立政権の歴史を取り上げる。(坪井賢一)
1993年に崩れた「55年体制」
連立政権時代へ突入
菅民主党・国民新党連立政権はこれからどうなるのだろう。1993年に始まる現代の連立政権時代では、小泉自民党・公明党連立政権以外、いずれも短命に終わっている。現政権は参議院の少数与党であり、政党間の政策協議が十分に行なわれる必要があるとともに、与党政治家の手腕に期待したいところだ。また、連立組み替えの動きにも注目しておこう。
今回は連立政権の歴史をひもといてみたい。1955年の保守合同で自由民主党(自民党)が誕生すると、1993年まで長期間にわたって自民党単独政権が続いた。この間、小政党の新自由クラブとの連立はあったが、まもなく自民党に統合されているので、ほぼ38年間も事実上の自民党一党支配体制が続いたのである。
1993年は、いっきょに連立政権時代に突入した年として記憶されている。この年6月18日、自民党内の造反により、野党が提出した宮澤政権に対する内閣不信任案が可決され、衆議院は解散した。7月18日の総選挙へ向けて、この間、自民党から分離して新党さきがけと新生党が結成され、すでに結党していた日本新党などと選挙を戦うことになった。
7月総選挙の結果、自民党と社会党が敗北し、55年体制が崩壊する。1993年8月9日、日本新党の細川護熙を首班とする非自民連立政権(社会党、新生党、公明党、日本新党、民社党、新党さきがけ、社会民主連合、連合参議院の8党会派連立)が誕生した。じつに38年ぶりの政権交代劇だった。
しかし、新政権が最大のミッションだとしていた政治改革関連4法案(小選挙区比例代表並立制導入など)の成立後は求心力を失い、首相の佐川急便事件や唐突な国民福祉税構想発表もあり、細川政権は9か月で崩壊する。