『ぼくらの仮説が世界をつくる』(ダイヤモンド社)を上梓した株式会社コルクの代表取締役・佐渡島庸平氏と、『ビジネススクールでは学べない 世界最先端の経営学』を上梓した早稲田大学大学院経営管理研究科准教授・入山章栄氏が「エンターテイメント産業の未来」「日本の組織論のあり方」などについて語りあった。

 日々これからのエンターテイメントを現場で模索し続ける佐渡島氏と、世界中の事例を元に最先端のビジネスを研究している入山氏。対談は否応なく盛り上がった。その様子を本日から全4回でお届けする。

学者は経営のことを経営者よりも見えている

佐渡島 僕の会社、コルクのビジネスモデルをおもしろがってくれた経営学者がいて、その方を見ていて経営学者ってすごいなと思ったんですよ。

入山 どうしてですか?

佐渡島 ぜんぜん経営の現場に身を置かず、ずっと大学にいるのに、こんなに経営のことを見えてるんだなと感心したんです。逆に、完全に客観的だから、見えてることってあるんだなと思って。

入山 なるほど。その視点、すごくおもしろいですね。ただ、経営学のなかでも、いろいろ違うんですよ。

 僕はどちらかというと欧米を中心とした海外の経営学に軸足を置いているんですが、経営学とひとことで言っても、日本の経営学と欧米の経営学って、まったく別物だったりするんです。

 僕はニューヨーク州のバッファローに住んでいたんですが、そこには企業なんて何もなくて、リアルな経営を学びたくても、唯一あるのがフィッシャープライス(Fisher-Price)というおもちゃの会社だけ。

 しかし、そういう田舎ではケーススタディが難しい分、データ解析に注力するんです。実はアメリカの経営学者が統計解析に長けていたのは、企業の人と接触する機会がそんなになかったからではないか、とも思ったりしました。

佐渡島 企業がないことを逆に生かしたと。

入山 そうです。

 一方で、日本の経営学者は、日々経営者と会ったり、企業の現場へ行ったりするんです。だから、彼らのなかには「現場をちゃんと見てない」という意味で、欧米の経営学をあまり好きじゃない人もいますね。国際標準の経営学でいうと、どちらかというとデータを重視した、科学性のある経営学に向かっています。

佐渡島 僕は結構、その科学性みたいなところに興味があるんです。

 たとえば、資本主義か共産主義かっていうことだけで、国の運営がうまくいったり、いかなかったりする。それはスタートのマインドセットの問題でしょう? マインドセットで何十年もの行く末が違ってくるのが不思議なんです。

入山 たしかに、スタートが違うだけで大きく異なる道を歩みますね。

佐渡島 だから、同じ産業でも、マインドセットが違うだけで、資本主義と共産主義ぐらい違うことって起きちゃうんだろうなと思ったんです。

 具体的には、僕は「アメリカンドリーム」っていう言葉は、常に立ち返れる、最強のマインドセットでありキャッチコピーなんじゃないかと思うんです。

入山 なるほど、おもしろいですね。

ビジョンが経営を左右する

佐渡島 資本主義にさらに「アメリカンドリーム」というキャッチコピーをつくったのが、アメリカの勝ってる理由って考えられませんか?

 企業においても、「アメリカンドリーム」的な、抽象的だけどパワーを持っている理念を、まず初めにセットしていくということが、重要じゃないかなと。

入山 なるほど〜、いわゆる「ビジョン」ですね。それが企業ではなく、国レベルである、と。めちゃめちゃおもしろいポイントですね。

 いまの話は、まさに佐渡島さんの『ぼくらの仮説が世界をつくる』にも書いてありましたが、ソニーとパナソニックの違いみたいなことですよね。

 経営学では「経路依存性」という考え方があるのですが、企業のスタート地点は同じでも、少しベクトルが違うと、だんだん進んでいく方向が違ってくるんですよね。

佐渡島 まさに、そう。マインドセットの違いで、方向性がまったく変わってくる。

入山 一方で、いまの日本の多くの大企業で課題なのが、ビジョンがないことだと僕は考えています。「30年後、50年後の社会はこうなるから、うちの会社これから50年後の社会まで、こうやって貢献していくんだ」っていう考えがない。

 日本の企業の場合、創業時代のビジョンはあるけれど、時間とともに失われていきます。日立製作所が近年復活したのは、元会長の川村隆氏が「日立はソーシャルイノベーションを柱としていくんだ」というビジョンを掲げて、社内に徹底させたことが大きかったと思います。海外企業でいうとGE(ゼネラル・エレクトリック)やデュポンもそうしたビジョンを大切にしている。

「100年委員会」のようなものをつくって、自分たちの役割を考え、社員に徹底させているんです。創業者の理念に立ち返るってすごく大事で、問題が起きているときこそ、「もともとうちの会社って何のためにあるんだっけ」というところに立ち返るべきなんですよね。