富美は、見合いで「高卒」の男性と結婚した。夫も機会あるごとに、「高卒」である身の不幸を嘆いたという。富美は、冴子と節子には小学校3年の頃から家庭教師をつけたり、学習塾に通わせたりした。「勉強をしなさい!」と毎日何度も叱った。

 家庭では、成績や偏差値、大学受験の話で毎日盛り上がった。中心的な存在が、富美と冴子だった。2人は親子というよりも、「同志」だった。冴子は「学歴コンプレックス」とも言える両親の教えを忠実に守り、勉強を黙々と続けた。

 一方節子は、中学に入った頃から親に口ごたえをするようになる。勉強もあまりしない、学習塾にも行かない。高校は姉と同じ進学高に入ったが、成績は1学年450人ほどのなかで、80~90番ほどだった。

 富美との関係も、ぎくしゃくしたものになる。冴子は妹が上智大文学部よりも難易度の高い大学に進学することを警戒していた。4つ下の妹とはいえ、ライバルのように見ていたのだ。節子が本命であった上智大の試験に不合格だとわかった日、大騒ぎして喜んでいたという。

 青山学院大の文学部(英米文学科)と上智大の文学部(英文学科)の難易度は、1980年代前半当時、ほとんど変わらなかった。それでも冴子は、妹の前で「青学ならそこそこだから、いいじゃん!」と、当時浸透しつつあった「じゃん言葉」を使い、なだめていたという。この頃を境に、姉と妹の関係は変わり始める。あくまで、自分のほうが優秀であることを強調する冴子。学生としての生活に満足し、日々を楽しむ節子。

 冴子は、機会あるごとに節子の生活を富美に聞いて探った。交際している男性や就職活動のこと、損害保険会社に入ってからのこと――。敏感に反応したのが、節子の結婚や出産だった。子どもが生まれたことを知ったとき、口惜しそうな表情を見せたという。

立派な学歴を身につけても
生き方に問題があるとダメになる

 冴子は、挫折を繰り返した。上智大4年の就職活動では、希望するほとんどの会社の試験で不採用となる。入社した大手メーカーは、1年も経たないうちに退職。そして、「夫婦同然」の関係だった男性たちとの数々の「別れ」も経験した。

 50代半ばの今、独身で子どもはいない。これまで6つほどの会社に勤務した。現在の外資系のファイナンス関連の会社(正社員数350人)では、経理部長である。社会的地位があるにもかかわらず、60歳が見えつつある今でも妹の生活をねたんでいる。節子の一人息子が大学受験に失敗して浪人したときには、喜んで富美に電話をしてきたという。

 2011年、富美は筆者にこんなことを淡々と話していた。

「立派だなと思える大学を卒業しても、その人の考え方や生きる姿勢に問題があると、ダメになるのねぇ」「大多数の人は、平凡な人生で終わっていくの。学歴って、そんなものしか得ることができないのね」

 昨年(2015年)、ある人から聞いた話によると、富美は前年(2014年)に病死したという。