“白骨街道”の本当の意味
幸一たちは、再びアラカン山脈を越えて退却し、中立国タイに逃げ込むという“ビルマ反転作戦”のさなかにあった。
このころともなると、着衣はぼろぼろで髭も髪も伸び放題。全身垢まみれで、かろうじて目玉で誰か判別がつく程度である。着替える服などないからシラミがわく。体中かゆくてたまらず集中力がそがれる。
そして負傷兵の傷口には必ずと言っていいほどウジがわいた。ハエが止まったかと思うと、もう次の瞬間には卵が産みつけられ、そこからウジがはい出てくる。
取ろうとしても傷口の奥まで入っているから取りにくい。だが膿をきれいにしてくれるという一面もあったのだ。
食べるものがないから、そのウジ虫をとって食べる者もいた。貴重なタンパク源だった。
兵たちは体力を奪われ、飢餓に苦しみながら、ばたばたと斃れていった。そんなことから、彼らの退却路は“白骨街道”と呼ばれたが、そこにはもう一つの意味が隠されていた。
ビルマには大型のウミワシやタカが多い。人を襲うことなど滅多にないこれらの猛禽類も、瀕死の兵士となれば話は別だ。弱っていると容赦なく生きたままつつかれる。酸鼻の極みとも言うべきは、外に出ている顔、とりわけ目玉からつつかれていくことだ。
次に頬がつつかれ、生きながら食われていき、やがて白骨と化していく。これこそが、あまりにも哀しい“白骨街道”という名のいわれだった。
作戦の初期だったこともあって、ラングーンの病院に後送してもらえた幸一はまだ幸運だった。退却戦になると、担架に乗せられた隊員、松葉杖をつく兵に自決命令が出された。銃を取り上げられ、手榴弾が手渡される。
「いやまだ動けます。大丈夫です」
と必死に言い張る者は、古参兵によって背後から撃たれた。
あちこちで銃声が響き、付近のジャングルの中で手榴弾の破裂音が聞こえる。耳をふさいでも否応なくその音は周囲にこだまし、やがてなんとも思わなくなっていく。
敵兵に殺された兵士より、餓死したり自決させられた兵士の方がはるかに多かった。それがインパール作戦だったのだ。
密林のいたるところに先行する部隊の将兵が死んでいる。まともな着衣の兵などいない。栄養失調でみなガリガリにやせ、水辺で死んでいた。のどの渇きをいやそうとせっかく水辺にたどり着きながら、そこで力尽きて死んでいたのである。
“人の橋”を歩いて湿地帯を渡ったのは、まさにこの退却戦のさなかのことであった。
山中のけもの道をさまよいながら、やっとタイ国境近くに到達した。タイは中立国だから、ここなら戦闘はない。
それでも国境を越えるのに1週間を要した。将兵に支給された食糧はわずか2日分。食べられそうな植物は手当たり次第に食べた。ジャングルにはバナナがはえていたが、果肉のない種子ばかりのバナナだった。幹を切り、芯のやわらかそうなところを食用にした。毒キノコもあり、何人もが犠牲になっていった。
気がつけば彼の部隊の55名はわずか3名となっていた。