中野善壽氏 提供:ディスカヴァー・トゥエンティワン
「伝説の経営者」と呼ばれる中野善壽氏は、成長期の鈴屋を退いた翌日に衝動的に空港へ向かい、トランジットで立ち寄った台湾にそのまま住み着いた。コネも仕事も宿もない身でありながら異国の土地で道を切り開いた、自由奔放で型破りな生き方を自ら語る。※本稿は、実業家の中野善壽『ぜんぶ、すてれば』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を抜粋・編集したものです。
海外で暮らそうと
思ったきっかけ
台湾に生活の拠点を移して、もう25年以上が経ちました。
人情深く、どこか懐かしい田舎感覚の文化が性に合って、あれよあれよと現地企業で働くことになり、気づけばこんなに時間が経ったという感覚です。
海外で暮らそうと思ったきっかけは、成長期の鈴屋でリーダーの1人をやらせていただいたのですが、17年を経て、もう居場所がないなと感じたから。
その時期、僕にはいろいろな誘い話や「あの件はどうなっているんだ」と裏から聞き取ろうとする電話がひっきりなしで、煩わしく感じていたのも正直なところ。
なんとなく、環境も自分が望まない方向に変わっていくように感じ、身を引こうと決めたわけです。
決めたら行動は早い。次の日には空港に行って、パッと目に入ったシンガポール行きのチケットを買って、飛行機に乗っていました。
日本におけるキャリアの痕跡を残さず消し去るには、いなくなるのが一番だと思ったから。
この時点ではすっかりシンガポールで暮らすつもりでいたけれど、たまたまその飛行機が台湾経由で、1時間半ほど台北に降り立つことに。







