コンビニがなかった時代の風景
学芸大学駅を降りてから3分ほど歩いた路地にあるのが栄屋肉店。町のお肉屋さんである。全従業員数は2名。山中勝、ミツ夫妻。ふたりとも今年、80歳になる。
近所のお得意さんは「山中さん」ではなく、お父さん、お母さんと呼ぶ。
取材に慣れていないお父さんは威儀を正して語る。
「栃木県の中学を出て、大森の肉屋で10年間、修業しました。その後、学芸大学で独立。店を開いたのは東京オリンピックの前の年です。昭和38年。それから50年以上、働いてます」
朝は7時から店を開けている。夜は8時まで。休みは日曜日だけ。
まだコンビニがなかった頃のこと、「子どもの弁当のおかずを買い忘れた」母親は朝、栄屋肉店へ走った。起きてきたお父さんに事情を話すと、ウインナーやハムを売ってくれたり、コロッケを揚げてくれたり……。完全地域密着の店だ。
「牛、豚、鶏、加工品となんでも売ってます。おそうざい、弁当は自家製です。冷凍のコロッケを仕入れて売るよりも、一から自分で作ったほうが儲けが多いから」
昨今、町の精肉店、鮮魚店、青果店は激減している。理由は後継ぎがいないこと。山中のお父さんのように中学を出て、一軒を構え、一生懸命働いた夫妻の子どもはたいてい、大学に行ってビジネスマンになる。肉の仕入れ、肉をさばくこと、コロッケやメンチを揚げる修業をしていないから、跡を継ぐことは不可能なのだ。こうして、精肉、鮮魚、青果の個人店舗は町から消えていく。栄屋肉店もこのままいくと閉店になってしまう。
「昔は学芸大学だけで15軒くらい肉屋さんがあったんですよ。この間、一軒やめたから、あとはうちともう一軒だけになりました。時代に負けたということでしょう」