とはいえ、この暮らしをはじめた当初は、地域の未来を考えるなどというご大層な思いを持つようになるとは夢にも思っていませんでした。そもそも、もうこんな都市生活は嫌で嫌で耐えられない!とか、世界を変えたいならまずは自分を変えろ!といった激しい感情に突き動かされたのではなく、

「田舎に実家がなくても、帰れる田舎が欲しいなあ」

「なりゆきで続けているこの都会暮らしは、わたしたちにとって本当にベストなの?」

「実際、豊かさって何?」

 といったささやかな疑問や願いが育った結果、はじめた暮らしです。必然性はあるのかないのか分からず、あるいはその疑問や願いをそのままずっと寝かせていたとしても、生活に支障はなかったかもしれません。

 そこで起こした行動にしても「壁紙を変えたいな」と思って壁紙のサンプルを取り寄せ、悩んで、選んで、買って、自分で貼ってみる、という実行力の延長くらいだなと思っています。

 それでも、思うだけなのと、実際にやるのとでは、時間がたつと大きな差が出てくるものです。週末、土の匂いを胸いっぱい吸い込んで草刈りや畑仕事に精を出すという、今までの人生にはまったく存在しなかった行為を繰り返すことで、ものの見方が変わり、感受する世界の範囲も変わり、この生活を「続ける」理由はどんどん増えていきます。

 さらには当初目的としていなかったことにも手を伸ばしたくなり、起こるコト、出会うヒト、見るモノと自分が化学反応を起こしていく。

 また、都市と里山を往復し、そのどちらもが「現在の暮らしの場」となる中で、双方の要素が自分の中で融合したり反発したりとこれまた化学反応を起こしていく。そうして、都会っ子でも里山っ子でもない、へんてこりんな自分「都会人サトヤマン」ができていくというわけです。

 新しい暮らし方をはじめるときには、もうひとつ家を持っちゃうなんてスゴいことをするのだから、あれもこれも考えておくべき!と自分なりには精いっぱいいろいろ予想してみたものですが、今のわたしから見たらそれでも覚悟も知識も実に稀薄でトンチンカンなところもあり、危なっかしくて見ていられないような部分も大いにあったと思います。

 それでも、あのとき思い切ってはじめてみてよかったと、当時の自分の思い切りに感謝したくなる。まあ、言ってみれば結婚のようなものかもしれません。飛び込まないと、続けることもできやしないってね。

(第4回に続く)