平日は都会で働き、週末は田舎で過ごす「二地域居住」。東京生まれ、会社勤め、共働き、こども3人。およそフットワークが軽いとはいえない「田舎素人」の一家が始めた新しい暮らし方には、想像を超える豊かさが待っていた。今大きな注目を集める「田舎暮らし」の奮闘記『週末は田舎暮らし』から、一部を抜粋して紹介する。
「生まれも育ちも東京」の一家が始めた新しいライフスタイルとは?
わたしたち家族には、二つの家があります。
ひとつは東京に、もうひとつは、千葉県の里山に。「平日は東京で働き、週末は田舎で過ごす」というライフスタイルを実践しはじめてから、今年で8年目になります。車で約1時間半の距離にあるこの二地域を、通算で200往復はしているでしょうか。
つい数年前まで自分は生まれも育ちも東京のトカイモンだと思ってきましたが、今では友達から「この人ね、一皮剥くと、中から農家のおばちゃんが出てくるんだよ」と紹介されるようになりました。こどもたちも「おうちはどこ?」と聞かれると「東京と南房総」と答えているようです。
今でこそ、この暮らし方以外は考えられないわたしたちですが、ごく普通の家族──こどもがいて、会社勤めの共働きで、およそフットワークが軽いとはいえない家族──にとって、このようなライフスタイルへの切り替えは大きな決断でした。
しかも、夫婦して田舎暮らしの経験は皆無、親の代も都市生活者という出自です。自分たちなりによく考えてのことでしたが、「定年後の田舎暮らしならわかるけど、小さな子のいる忙しい時期になぜ?」「大きな出費はあるし、往復も手間だし、そこまでしてやりたいの?」と、まわりからいろいろ心配されました。
それらの心配には「ビンゴ!」な部分もありましたし、的外れのものもありましたが、生活のたて方という意味では大抵のことは慣れによってクリアされていくものでした。
例えば、大変だと思われがちな週末の移動ですが、移動先も“我が家”ですから旅行とはテンションが違います。むしろ、金曜の夜に東京から南房総に移動し、明けて迎える土曜日の朝は1週間の中でも特別です。週末の住まいである低気密低断熱の古い古い農家は、決して体を甘やかしてくれる環境ではありませんが、この家に漂うしーんと澄んだ空気はなぜか深い眠りと目覚めの穏やかさをもたらします。
朝、夢と現うつつの間でうつらうつらしながら聞こえてくるのは、家の前を走るバスや車の走行音でもクラクションでもなく、どことなく滑稽なウグイスの鳴き声です。「ホー、ケキョケ!」「ホ、ホケチョン!」「……ホキョ」
ホキョ?ふふふ、ヘタっぴ。
平日の仕事の疲れが体の芯にまだ残ってはいるものの、初鳴きのかわいらしさに誘われて布団からそっと抜け出します。
夜半から未明にかけての冷気が畳の上に溜まっていて、頬まで布団をずり上げて眠るこどもたちは微動だにしません。大人だけじゃない、こどもだって平日精いっぱい頑張ってるもんね。
上着を羽織り、つんと寒いおもてに出ると、青いような甘いような濃い匂いをはらんだ靄が、体を包み込みます。凝縮した命の匂いと、立ちのぼる土の湿り気。畑の真ん中に仁王立ちして胸いっぱいに吸い込むと、あぁ……生き返る!これだこれ、この瞬間のために今週も頑張ってきたんだ。
そんなわたしの足元では虫が跳ね、頭上にはトンビが舞います。
ようやく体に血がまわりはじめて大きく伸びをしたところで、「♪たーららーららー」と午前7時を知らせる管内放送。寝る時間も起きる時間も人によって大きく違う東京では考えられないこと。この音で、集落のみんなの1日が始まるのです。
さあ、今日もミミズのようにせっせと土を耕して過ごそう!草刈りに精出そう!
ありがたいことに、まる7年たった現在でもこの暮らしは色褪あせることなく、小さな子も大きな子も親も一緒になって自然と関わる暮らしを満喫し、次世代に継ぐ素地を築いています。
そしてここ数年、わたしたち家族以外にも、この里山を訪れる人が現れはじめました。里山環境に関心を持つメンバーと共にNPO法人を立ち上げて、自然体験プログラムなどを実施しているためです。
ごく私的な理由ではじめた週末田舎暮らしですが、その中でのダイナミックな自然体験をメンバーや参加者と分かち合うことで、「都市に暮らす人も、自然豊かな場所で子育てしたり暮らしたりする機会は持てる」という意識が共有されはじめています。