「環境問題」は人類全体の問題であるとの共通認識なくしては効果なしダイヤモンド社刊
1785円(税込)

「今後ますます、生態系に対する配慮、つまり危機に瀕した人類の生存環境の保護を政策に織り込むことが必要になってくる」(『新しい現実』)

 ドラッカーは、生態系に対する問題意識と政策は、国境を越えざるをえないという。危機にあるのは、人類の生存環境、すなわち人類そのものだからである。

 ところがわれわれは、いまだに、人類とは別の、人類から切り離された何物かを守るという意味で環境保護という言葉を使っている。このことをドラッカーは憂える。

 完全に局地的な環境問題であっても、そのもたらす影響は局地的ではない。環境汚染に国境はない。したがって環境の保護には、生態系にかかわるグローバルな法、すなわち国際法が必要となる。

 1930年代のニューディール時代、米国の連邦政府は、児童労働によって生産された製品が州境を越えることを禁止することで、南部諸州の頑強な反対を押し切り、児童労働を事実上禁止した。

 ドラッカーは89年、この例に倣って、海洋の汚染、地球の温暖化、オゾン層の破壊など、人類の生存環境の汚染と破壊を伴って生産された財については、貿易を禁ずることを提案した。

 たとえ、自由貿易に対する干渉ではあっても、それは必要な干渉であるとした。

「環境の破壊は地球上いずこで行われようとも、人類全体の問題であり、人類全体に対する脅威であるとの共通の認識がなければ、効果的な行動は不可能である」(『新しい現実』)