万人単位の部下を率いて歴史を変えてきた偉人たちは例外なく「部下が付いてくる上司」だった。ダメ部下の集団さえ、最強兵士に変身させた偉人たちに学ぶ、部下の心に火をつける方法を教えます。
天下を取った豊臣秀吉は、織田信長軍団の中堅幹部で羽柴秀吉と名乗っていたころ、稀代の部下を喜ばせる名人でした。
城攻めのとき、敵方の騎馬隊が奇襲して、それを撃退した味方の武将山内一豊に伝えた誉(ほ)め言葉が記録に残っています。
「筑州おおよろこび、踊りあがり踊りあがり踊りあがり、とうとう尻餅をつき候ぞ」
筑州とは、羽柴筑前守だった秀吉のことです。秀吉の喜び上手には感心します。表現が形式的ではなく、子どものような無邪気さで喜びを、そのままの言葉で使い番(つかいばん=戦場における伝令役)に伝えるように指示しました。
こんなに喜んでもらえるなら命もいらない。秀吉のためにさらに力を尽くそうと配下の武将たちの心に火がついたのです。
ダメ軍団を無敵軍に変身させた
ナポレオンとパットン将軍に学ぶ
ダメ軍団を無敵の軍団に変えた歴史の偉人がいます。部下の自尊心を刺激し火をつけました。第二次世界大戦のヨーロッパ戦線で、無敵の軍団を率いたアメリカのパットン将軍です。連戦連勝を飾りますが、戦場に出る前にダメ軍団を無敵の軍団に変えました。
その方法は、あらゆる場面で自尊心を部下たちに吹き込んだのです。
「きみたちは最高なんだ」と、パットンは言い続けました。
規律のゆるんだ部隊には身だしなみを求め、練度の低い部隊には重装備して数十キロを走らせます。誇り高きお前たちにできないわけがないとやり切らせます。
「俺たちは最高の部隊だ」と何度も繰り返し叫ばせるのです。
そうして、アメリカからヨーロッパの戦場に派遣された時には最強の軍団と変貌していたのです。
ナポレオンもまた将兵に自尊心を吹き込む名人でした。
フランス革命によって生まれた新政府を、英国や周囲の国々はつぶそうとしていました。ナポレオンが率いるイタリア遠征軍は、地中海沿岸のニースに本営をおいていました。主力軍ではなく牽制のための囮(おとり)軍で、装備も不十分で俸給ももらえないありさまでした。
軍隊内部は反抗的で崩壊寸前でした。ナポレオンは財政難の革命政府に金と装備を期待してもムダと分かっていました。ないものは敵であるオーストリア軍から奪えばいい。豊かなイタリア国を占領しているオーストリア軍を追い出すと決意しました。
そこで『兵に告ぐ』を発します。
「兵士諸君よ。諸君は裸同然で食事も装備もない。政府は諸君に負うところが多いのに、なんと何一つ諸君に与えることはできない。(中略)そこで私は諸君を世界一の沃野に誘導しようと思う。
豊かな諸州、広大な諸都市が諸君の権力化に入るであろう。諸君はそこで名誉と、栄光と、富とを見いだすであろう。イタリア遠征軍の兵士よ。諸君はよもや勇気と堅忍不抜の精神とを欠くことはあるまい」(ナポレオン言行録)
自尊心を吹き込み
心を揺さぶる言葉とは
将兵たちは裸同然の装備で食料も満足にないことに不満を持っていました。
ナポレオンは、「栄光と富」を見せつけ、世界一肥沃な土地へ導くと宣言します。そして諸君には勇気があると自尊心を鼓舞します。ボロボロの軍隊に未来と自尊心を吹き込んだのです。将兵の心を激しく揺さぶり、猛獣のように強く誇り高い軍団に変わりました。オーストリア・ピエモンテ軍を打ち破り、ミラノ入城はお祭り騒ぎとなりました。
さて、我々はどうでしょうか。ダメな部下ばかりとあきらめてはいないでしょうか。会社は何もしてくれないと、居酒屋で愚痴っていないでしょうか。
手持ちの戦力に自尊心を吹き込みましょう。
「必ずできる」
「栄光をつかもう」
「いちばんを目指すのだ」
こうした言葉を繰り返して、自尊心に目覚めた組織を創り上げましょう。