人間というものは実に温度に敏感だなと思う。気候の話は毎日のように交わされ、朝は天気予報を見て、一日の気温を確認する。季節に合わせて着るものを変えていく。エアコンの調整も1度単位だ。風呂の温度となると、少し違っただけでも気になるものだ。
極端に暑かったり、寒かったりすれば生命の危機にも繋がる。敏感であったほうがいいのだろうか。
気温の変化には敏感であるが、飲食に関しては受け入れられる幅が広い。ずっと触っていると火傷してしまいそうな熱いものや、肌の感覚がなくなってしまいそうな冷たいものまでわりと幅広く、口は受け入れる。強いぞ、口。強いぞ、食道。強いぞ、胃袋。
しかし、口に入れる時、熱すぎたり、冷たすぎたりすると、人はたいてい表情を変える。一瞬驚いて、必死で受け入れようとするような表情だ。
冷たいものは、自分の体温で温めようとするのかゆっくりなじませていく感じだ。その表情はたいていやさしく美しいことが多い。
一方、熱すぎるものに対しては、驚いた後、それを拒否しようとする気持が生まれる。しかし吐き出せない。しかたないから、口の中で冷まそうとするのか、熱いものをころがしながら口も開く。ハフハフハフ……と言いながら熱気を吐き出す。
熱すぎるお茶やコーヒーを飲んだら、大きな口を開けながら顔をゆがめる。
誰でもそんなことをしたことはあるだろうが、その熱気とともに「美人のもと」を吐き出していることが多いように思う。
たいてい、その時の顔はくずれている。その瞬間をたくさんつくったら、それがなじんでいくのかもしれない。
美人は熱いものを上手に食べる。温度を想像しながら、熱さに驚かない準備をする。仮に熱すぎると感じてもそれを一生懸命受け入れようとする。冷たいものの時の表情に近い。熱さも「美人のもと」になるのだとなじませるように。
「美人のもと」をつくる熱さを上手に受け入れたい。