約30年にわたりトップ棋士として活躍をつづける将棋界のレジェンド、羽生善治九段と、USBフラッシュメモリのコンセプト開発などでも知られるビジネスデザイナーの濱口秀司さんによる、異業種トップランナー対談第3回。羽生さんが考える「思考と美意識の関係」と、濱口さんがこだわる「エレガントな解き方」、それはAIの世界でどうなっていくのか?お二人が語り合います。(協力:日本将棋連盟)

濱口秀司さん(以下、濱口) 僕は昔からコミュニケーション障害っぽいので、知り合いから「コミュニケーションというのはキャッチボールなんだよ」と諭されたりもしたのですが、今回も「対談」なのに気がつくと羽生さんの質問に僕が答えているだけなので対談になってないですね……。すみません。教えに従って、ここからは僕も少し質問します(笑)
 羽生さんは以前に、「人間の思考はあらかじめ「美意識」によって狭められていて、選択肢を減らされているんだ、「美意識」は時間の流れのなかで文脈を掴む能力と密接に関わっているんだ」という主旨のことをおっしゃっていましたが、「美意識」というのをどのように鍛えているんですか。僕も「エレガントに解く」ことにこだわっているので、ちょっと気になって。

羽生善治さん(以下、羽生) たとえば、テニスでいい当たりを返す時って、相手にボールが返る前、つまりボールが自分のラケットに当たる瞬間にもうわかりますよね。将棋も同じなんですよ。手を見つけたときに、“ちょうどいい感じ”というのがあって、その“ちょうどいい”というのが美意識だと思うんですよね。たとえば、強すぎても弱すぎてもダメで、“ちょうどいい加減”を見つけたとき、それが良い手だったんだ、と後づけで分かる感じですね。

濱口 感覚としてはすごくわかる気がします。僕の場合は、なぜいいと思ったのかちょっと解析が必要で、すこしわかると、それを再現してみようとする病気です。

ソフトの指し方を見ていると
自分の美意識も変化していく

【第3回 羽生善治さん×濱口秀司さん対談】<br />二人が大事にする<br />「美意識」「エレガントな解き方」は<br />AIでどう変わるのか<br />羽生善治(はぶ・よしはる)
将棋棋士
6歳から将棋を始め、1982年6級で二上達也九段に入門。85年15歳で四段となり中学生棋士に。89年初タイトル竜王を獲得。94年、九段に昇進。96年には将棋界初の七冠制覇(名人、竜王、王位、王座、棋王、王将、棋聖)を、2017年には史上初の永世七冠を達成。通算タイトル獲得期は99期。あらゆる戦型を指しこなすオールラウンドプレーヤーで、終盤に劣勢を逆転させる勝負手は「羽生マジック」として知られる。人工知能(AI)については早くから着目し、NHKのドキュメンタリーのリポーターを務めるなど詳しいことで知られる。18年国民栄誉賞、紫綬褒章など表彰多数。著書も、将棋専門書以外に『挑戦する勇気』(朝日新聞社)、『決断力』(角川書店)『迷いながら、強くなる』(三笠書房)など多数。1970年、埼玉県所沢市出身。

羽生 美意識の部分は、ずっと同じではなく、ちょっとずつ変わっていくので、それが人間のすごく面白いところだと思うんですね。最近、将棋のソフトがめきめき強くなってきていて、これが人間の美意識にすごく影響を与えてきているなと感じます。今までは醜い手だと思っていたけど、ソフトの指し方を見ていて、なんだかいい手に見えてきたな、とか、感じ方が変わっていくんですよ、不思議なことに。

濱口 ソフトが人の美意識に影響を与えるんだ。僕は将棋のルールも将棋のソフトも詳しく知らないのですが、ソフトは人間とは指す回路が違いそうですよね。
 そのソフトを設計している人間がいるはずですが、二つのパターンがあるように思います。一つは、設計者が将棋のルールを強めにソフトに組み込んでいるパターン。もう一つは、将棋のルールが希薄に組み込まれているパターンで、こちらのほうが面白いかもしれません。
 たとえば、「王将が取られたら負け」というルールだけが入っていて、あとは過去の指し手を一手一手バラバラに取り扱って、その手の結果、最後に勝ったかどうかだけデータとする。指し始めは勝率50%から始まり、すべての盤の画像パターンと結果だけ解析した蓄積で、指し手を決めると面白そう。過去の羽生さんのすごい指し手も、そのデータの中ではバラバラにされて他と同じ一つの情報となる。そのソフトは将棋のルールを知らないから、人間からすると、まったく予想外の展開になる可能性が高い。それを面白いじゃん、と思って見始めると、新しい物の見方や戦い方ができそうですね。

羽生 「アルファゼロ(AlphaZero)」という将棋プログラムが、2時間で過去最強のソフトを追い抜いことがあったんですよ。棋譜を見ても、強いことはわかるんですけど、何が起こったのかわからない。気持ちとしては、古い遺跡が出てきて、「なんだかすごいものらしいけど、これから発掘するんだ」というような感じです。

濱口 僕、将棋は全然わからないんですけど、コンピュータが強くなっても、まだまだ先に見えない世界があるということでしょうか。

羽生 あると思いますね。たとえば、将棋ってこれまで100手とか120手で終わると言われてきたんですけど、ソフト同士でやらせると、もっと長くなることが多い。つまり、人間が勝手に思っていた勘違いで、そもそも収束しないゲームである可能性もありますよね。そういうことはほかにも色々あるかもしれません。

濱口 ゲームが長くなるという一点だけでも、考え方や戦い方は変わりますもんね。

時間や時代の感覚がない相手と
コミュニケーションをとれるか

【第3回 羽生善治さん×濱口秀司さん対談】<br />二人が大事にする<br />「美意識」「エレガントな解き方」は<br />AIでどう変わるのか<br />濱口秀司(はまぐち・ひでし)
京都大学工学部卒業後、松下電工(現パナソニック)に入社。R&Dおよび研究企画に従事後、全社戦略投資案件の意思決定分析を担当。1993年、日本初企業内イントラネットを高須賀宣氏(サイボウズ創業者)とともに考案・構築。1998年から米国のデザイン会社、Zibaに参画。1999年、世界初のUSBフラッシュメモリのコンセプトをつくり、その後数々のイノベーションをリード。パナソニック電工米国研究所上席副社長、米国ソフトウェアベンチャーCOOを経て、2009年に戦略ディレクターとしてZibaに再び参画。現在はZibaのエグゼクティブフェローを務めながら自身の実験会社「monogoto」を立ち上げ、ビジネスデザイン分野にフォーカスした活動を行っている。B2CからB2Bの幅広い商品・サービスの企画、製品開発、R&D戦略、価格戦略を含むマーケティング、工場の生産性向上、財務面も含めた事業・経営戦略に及ぶまで包括的な事業活動のコンサルティングを手掛ける。ドイツRedDotデザイン賞審査員。米国ポートランドとロサンゼルス在住。

濱口 人間同士で対局していると、対話感みたいなものが、きっとあるんですよね。ソフトが相手でも、そういう対話している感じがあるんですか。

羽生 対話かどうかはわからないですけど、ソフトに詳しい棋士が見ていると、将棋のソフトの局面を判断する1万ぐらいのパラメータで出す評価値がだいたい何点とわかるんですよ。この局面はプラス200だ、これはマイナス300だ、とか。プログラムのクセなんですかね。

濱口 なるほど。では、ソフトと指していると、だんだん「人格」みたいなものが見えてくるとかあるんですか。

羽生 おそらく、人間が人格を作り上げていくんじゃないでしょうか。ボットとかも、話しかけていくうちに自分で勝手に人格があるかのように作り上げていくイリュージョンみたいじゃないですか。

濱口 最初は宇宙人と対しているみたいでよくわからないけど、指しているうちにだんだん何かが見えてきたり、対話感が出てきたら面白いですよね。羽生さんは人類で初めて会話じゃなくAIと対話することになりますよ。

羽生 印象だけいうと、AIは基本的に時系列なく手を選んでくるから、人間から見ると支離滅裂に見えるんですよね。過去も未来も関係ない、時系列とは無縁だという存在と、コミュニケーションをとれるのか、壮大な挑戦です。ただし、人間がAIに寄り添うほうが簡単だし、現実もそういう方向に進んでいってしまいそうですが、それはあまり健全とはいえない。大変で難しかったとしても、AIが人間に寄り添っていく方向に技術が進んでくれないか、とは結構思いますけどね。

濱口 時間や時代の感覚がない。時系列で打ち手が進化してきたので、今時なんでそんな古い手を出してくるのかとか人は思っちゃうわけですね。AIと指していると楽しくなるとか?

羽生 たとえば、今も「接待将棋」などの研究者がいるんですけど、まだ今の技術だと負け方があからさますぎるらしいんですよね(笑)。おもてなしをしている、と人間に気づかせないよう、なんだかわからないうちに負けてあげるというのは、相当に高度らしくて。

濱口 コンピュータを相手に仕事をしたことがないので、伺っていて面白いですね。企画コンピュータとか、それらしいアプローチはありますが、まだ存在しないので。それがあったら戦ってみたい。興味あります。

正解や手ごたえが欲しいという
欲求にいかに耐えるか

羽生 もう一つ言えるのは、ソフトだと全部点数を出してくれるんですけど、人間の目から見ると「楽観的すぎる」んですよ。ソフトにしてみれば圧勝で「プラス1000点」というけど、人間の目からプロセスを見ると、いや結構いい勝負だったぞ、というときはある。やはりAIには恐怖心がないので、正しいことを選択し続けてそうなるという評価なんですよね。

濱口 恐怖心って面白いですね。

羽生 (初回リンク)先ほど感情の影響について伺ったのは、将棋においても、感情があるからこの手を指せない、という局面がいっぱいあるからなんです。怖いとか不安を感じるから、この一手が指せない、こういう発想ができない、ということがあるので、感情をいかにいいほうに転換させられるかにすごく興味があって。爆発的な思考は感情がきっかけとなって発露するところがあるのだろうと思うし、それが単なる機械でない人間たる由縁かなと思うんです。

濱口 昔の将棋に、そういう感情の要素はなかったんですか。

羽生 昔はほぼ感情むきだしの戦いですよね(笑)。それが、だんだんロジカルになって、また今変わってきている、という感じです。

濱口 感情むきだし……AIと指すと、どう変わりますか。

羽生 将棋に今のようなルールができて400年間にわたって積み上げられてきたセオリーのようなものが数多くあるわけですけど、実はそれほど重要じゃなかったんじゃないか、ということが、この3年ぐらいで言われ始めています(笑)。400年の歴史があっても、機械学習にはあっという間に追い抜かれちゃうので、フラットに見て自由に指すほうがいいのかなと思いますね。
 あとは何といえばいいかな、曖昧さにいかに耐えられるか、という葛藤がありますね。人間というのは、答えを見つけたり、その手ごたえが欲しい、という欲求が強いので、答えが見つからないままでもいかにそれを我慢して、目的と正反対の行動をとり続けられるか、というのが命題です。感情がなければ、そこで苦しむこともないでしょうからラクなんですけど。

濱口 僕は、物を見る時に、複数のピンやボールを投げるジャグリングのような感覚でいるんです。目の前にいろいろな事象がある中で、人間は、難しい単語や、ふと気になったものを知りたくなったり定義したくなったりすると思うんですけど、それをやらないようにしている。ジャグリングは、ピンの番号や形や傷を見ようとした瞬間に落とすはずです。それと同じで、ぼんやりとしていても我慢して、複数のものを同時にハンドリングして、でも全体の相関関係だけは掴むことが重要なのかな、と。クライアントさんの話を聞いてコンセプトを考える時も、そうやって知りたいという衝動に耐えて、引いて見るようにしています。

羽生 そのぼんやりと見えるようで見えない、もどかしい時間に耐えるというのは、終わった後で得られるものとバランスがとれないと、前に進んでいけない、ということもありませんか。ギブ&テイクや損得ではない、と頭では理解しているつもりでも。

【第3回 羽生善治さん×濱口秀司さん対談】<br />二人が大事にする<br />「美意識」「エレガントな解き方」は<br />AIでどう変わるのか<br />「曖昧さに耐える葛藤」について語る羽生さん

濱口 ビジネスの場合は、「出口」があるので、そこで精神は保たれるんですけど、たしかに将棋はしんどいところがありそうですね。

羽生 将棋の場合、考える局面の9割以上で自分が悪くなるか負ける手順を考えているので、ずっとやり続けていると、なんで自分はこれをやっているのかなと思うところはあるわけです(笑)。でも、耐える時間9に対して、何かそれらしきものを見つけられた時間1であれば、その1ですごく満足できるということなのかなと思いますね。

濱口 9割はさっきお話しした負ける手を考えるモードなんですね! そして1の時間でアドレナリンが出る感じですか。

羽生 肉体的に疲れているから、全身で嬉しい!という感じではないかもしれませんけど(笑)。

ソフトと対戦して鍛えた子は
どのように育つか

濱口 人間同士で指しているときに、相手をビビらせる、恐怖を感じさせる、というようなことはできるんですか。

羽生 それは、何を考えているか分からない人が怖いんじゃないですかね。なぜこんな手を指してくるのか?と。将棋では、互いに指している一手ずつがすごい情報になるので、相手が選ばなかった多くの手から色々推測もできるんですけど、「なぜこれを選んでいるのかわからない」というのが一番怖いと思います。でも、人間だと性格や対局のスタイルがあるので、実際には起こりづらいのではないでしょうか。逆に、今5歳や10歳の子たちがソフトとだけ戦ってきて、ソフトと同じような指し方をされたら、不気味さを感じるかもしれません

濱口 それは確かに怖い……でも早晩、出てきそうですね。

羽生 たとえば小さい子が何かを学ぶとき、問題に対して、解き方を教わって、理解して、次の段階に進んでいきますよね。でも、ソフトだと基本的には問題に対して、答えらしきものだけ教えてくれて、途中の解き方は教えてくれない。この繰り返しによって、本当に優秀な小さい子どもが成長するかどうか、興味深いんですよね。優秀な先生やサポートがなくても、みずから学んで進化していけるのかは関心があります。

濱口 地域によっては、よい先生や強い対戦相手など環境に恵まれなくても、ソフトとの対戦で鍛えて、今までに見たことがないような戦い方で伸びてくる子が出てきますかね。

羽生 基礎的な段階ならそれで大丈夫かもしれないですけど、ある程度の専門的なレベルでそれが本当にできるかどうか。5年か10年経てば、結果がわかってくるでしょうけど。

濱口 「実験」というと語弊がありますが、「体験で覚えるケース」「感情が入ったり痛みを感じたり記憶するケース」とか何種類か違う育て方をしてみたいですよね。情報の使い方や引き出し方、スピードも変わってくると思います。

羽生 人間がコンピュータをどういう風に使っていくかについては、言葉はよくないかもしれないですけど、実験というか「試行錯誤」しているんだと思うんですよね。いい道具であることは間違いない。でも、どういうふうに使えばいいのかはまだわからないので、本当の意味で恩恵を受けるのは、これから後の世代の方たちなのかなと思います。

濱口 フランスの資産家がつくったプログラミングスクールの「エコール42」なんかの事例も楽しみですね。学費無料で18歳以上ならだれでも受験できて、課題が与えられるだけで決まった授業枠や先生はおらず、グーグルで調べたり生徒同士が教えあう教育システムだ、と知り合いに聞いて、どんなふうに学生たちが育つのか興味をもっています。(第4回につづく)