火の発見とエネルギー革命、歴史を変えたビール・ワイン・蒸留酒、金・銀への欲望が世界をグローバル化した、石油に浮かぶ文明、ドラッグの魔力、化学兵器と核兵器…。化学は人類を大きく動かしている――。白熱のサイエンスエンターテイメント『世界史は化学でできている』は、朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞夕刊、読売新聞夕刊と書評が相次ぎ、発売たちまち7万部を突破した。
池谷裕二氏(脳研究者、東京大学教授)「こんなに楽しい化学の本は初めてだ。スケールが大きいのにとても身近。現実的だけど神秘的。文理が融合された多面的な“化学”に魅了されっぱなしだ」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。好評連載のバックナンバーはこちらから。

すべての金属を「金」に変える…古代から2000年近く研究されてきた「錬金術」とは?Photo: Adobe Stock

錬金術師パラケルスス

「錬金術」という「化学技術」がある。鉱石から金属をつくり出したり、合金をつくったりする技術から生まれたものだ。化学変化が神秘に満ちていた古代社会において、鉛などの卑金属を転換(変成)させて金をつくることを本気で考えた人々が現れ、古代から十七世紀までの二千年近くものあいだ、錬金術が栄えることとなった。

 錬金術は、紀元後間もない頃に、エジプトのアレクサンドリア、南米、中米、中国、インドで行われていた。いずれの地域でも金属から金を得たいという欲望、病気の治療などが動機になっていたのだ。

 錬金術師たちは、「『賢者の石』という物質を使えば、金属を金に変えられる」と信じて、賢者の石をつくり出すために血道を上げた。この石には鉱物の元素も、金属の元素も、霊的な元素も入り込んでいるので、あらゆる生物の病気を治し、健康を維持する万能薬とも考えられた。不老不死の薬でもあったのだ。

 錬金術は薬の製造にも使われた。なかでも活躍がめざましかったのがパラケルスス(一四九三~一五四一)だ。本名は、テオフラストゥス・フォン・ホーエンハイム。本名の代わりに名乗ったパラケルススというのは「ケルススに勝る」という意味だ。ケルススは一世紀のローマの医者で、当時再発見された彼の著書が医学界で大流行していた。

 パラケルススは、ケルススの著書の大部分が紀元前四世紀に亡くなったヒポクラテスの著書の焼き直しであることを見抜いた。それならば、自分は彼よりも優れている。つまり、「ケルススに勝る」と名乗るのは当然だと考えたのである。

 そして、自分の実力を証明しようと、当時の医学の権威にたてついた。論争を好み、挑発的で、毀誉褒貶が大きい。支持者も多いが敵も多いという性格だったようだ。

 パラケルススは、治療薬や器具が入ったカバンを携えて町から町へとヨーロッパ中を旅した。彼は「あらゆる金属は水銀と硫黄からつくられる」という錬金術の従来の考えを批判し、水銀と硫黄の他に第三成分として塩を加えた。この三原質説は、それまでの水銀・硫黄説にほとんど取って代わった。

 それまで、ヨーロッパの薬の大部分は植物を原料にしていたが、彼は鉱物の薬も加えて、酸化鉄や水銀、アンチモン、鉛、銅、ヒ素などの金属の化合物をはじめて医薬品として使ったのだ。現代でもパラケルススが治療に使った化合物は、皮膚病の薬のほか、さまざまな用途に用いられている。

パラケルススの霊薬

 パラケルススは、「錬金術を医学に役立つように利用して、化学的な治療法の開発や、それぞれの病気の治療に合う薬を調合すべきである」と考えた。そして、可能性のある薬は自分自身や弟子たちに使い、効果を追跡した。とくに彼が気に入っていたのは「ローダナム」という丸薬だ。用いるのは非常に悪い病気のときだけである。

 たとえば、あるときには、ローダナムの効果で死んでいるように見える患者が突然起き上がることもあった。ローダナムは伝説の薬になったが、現在、その秘密の製法は明らかになっている。その成分の四分の一は代表的麻薬であるアヘンのエキスであり、さまざまな病気の症状をやわらげる鎮静剤として、また万能薬のようにもはたらいたのだ。

 パラケルススは敵対者が多かったために、死後しばらくは評価されることはなかったが、十六世紀末になる頃には彼の著作の信奉者が各地に現れ、文献よりも実験・実証を重んじる、いわゆる「医化学(医療化学)派」が形成された。

(※本原稿は『世界史は化学でできている』からの抜粋です)

【訂正】記事初出時より以下のように修正しました。「大麻から抽出したアヘンエキス」→「代表的麻薬であるアヘンのエキス」(21年7月12日15:00 書籍オンライン編集部)

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左巻健男(さまき・たけお)

東京大学非常勤講師
元法政大学生命科学部環境応用化学科教授
『理科の探検(RikaTan)』編集長。専門は理科教育、科学コミュニケーション。一九四九年生まれ。千葉大学教育学部理科専攻(物理化学研究室)を卒業後、東京学芸大学大学院教育学研究科理科教育専攻(物理化学講座)を修了。中学校理科教科書(新しい科学)編集委員・執筆者。大学で教鞭を執りつつ、精力的に理科教室や講演会の講師を務める。おもな著書に、『面白くて眠れなくなる化学』(PHP)、『よくわかる元素図鑑』(田中陵二氏との共著、PHP)、『新しい高校化学の教科書』(講談社ブルーバックス)などがある。