火の発見とエネルギー革命、歴史を変えたビール・ワイン・蒸留酒、金・銀への欲望が世界をグローバル化した、石油に浮かぶ文明、ドラッグの魔力、化学兵器と核兵器…。化学は人類を大きく動かしている――。化学という学問の知的探求の営みを伝えると同時に、人間の夢や欲望を形にしてきた「化学」の実学として面白さを、著者の親切な文章と、図解、イラストも用いながら、やわらかく読者に届ける、白熱のサイエンスエンターテイメント『世界史は化学でできている』。朝日新聞(2021/5/1「売れてる本」評者:佐藤健太郎氏)、毎日新聞(2021/4/24 評者:小島ゆかり氏)、日本経済新聞夕刊(2021/4/8「目利きが選ぶ3冊」評者:竹内薫氏)、読売新聞夕刊(2021/4/5「本よみうり堂 ひらづみ!」評者:恩蔵絢子氏)と書評が相次いでいる。発売たちまち6万部を突破し、池谷裕二氏(脳研究者、東京大学教授)「こんなに楽しい化学の本は初めてだ。スケールが大きいのにとても身近。現実的だけど神秘的。文理が融合された多面的な“化学”に魅了されっぱなしだ」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。好評連載のバックナンバーはこちらから。

意外に知らない…人類をもっとも多く殺戮した「感染症」とは?Photo: Adobe Stock

アメリカ軍とDDT

 DDTは、蚊、ハエ、シラミ、ナンキンムシ、アブラムシ、ノミなどの昆虫に強力な殺虫力を発揮し、安価であったために世界中で広く使われた(DDTは、有機塩素系殺虫剤のジクロロジフェニールトリクロロエタンの略である)。

 時代は第二次世界大戦の最中。戦争に不衛生はつきものだ。DDTの高い殺虫活性が戦場における疫病の回避に役立ち、兵士の健康を維持できることを知ったイギリスとアメリカは一九四三年頃にDDTを工業化し、マラリアや発疹チフスといった病気を媒介する蚊やシラミを退治して、患者を激減させることに成功した。

 終戦後、日本に入ってきたアメリカ軍は発疹チフスを媒介するシラミの撲滅のため、日本人の体に真っ白になるほどDDTをかけて回った。空襲により街が破壊され衛生状況の悪くなった当時の日本では、発疹チフスにより数万人規模の死者が出ると予想されていたが、DDTの殺虫効果によって予防に成功。一九五〇年代には日本では見られなくなった。

 DDTは日本だけではなく、発展途上国などで、昆虫を原因とする感染症の撲滅に一役買った。DDTの殺虫効果の発見の功績によって、一九四八年、ミュラーがノーベル生理学・医学賞を受賞したのは、感染症撲滅への貢献があったためである。

 DDTは安価で殺虫力が強いので、当初「夢の化学物質」として積極的に使われ、食糧増産や感染症撲滅を支えた。使用開始から三十年のあいだに全世界で三〇〇万トン以上のDDTが散布されたと推定されている。これは、地球表面すべてがうっすらと白くなるほどの量だ。

 しかし、アメリカで一九六二年に出版されたベストセラー『沈黙の春』(新潮文庫)の中で、同書の著者レイチェル・カーソン(一九〇七~一九六四)が、DDTなどの有機塩素系殺虫剤が長期にわたって環境中に残存し、生態系に悪影響を及ぼすことを指摘する。これらの殺虫剤は脂溶性の非常に安定した物質で、動物の脂肪に蓄積され、プランクトン→魚→鳥という食物連鎖を通して徐々に濃縮されていたのだ。

 カーソンは、アメリカ・カリフォルニア州のクリア湖でブユなどの昆虫が大量発生した際に駆除用に散布されたDDD(ジクロロージフェニルージクロロエタン)が生物濃縮によって、カイツブリ(水中に潜って魚をとる鳥)の体内では、DDD濃度が環境の一七万八五〇〇倍にもなり、大量死を引き起こした出来事を例にあげている。「DDD」は「DDT」とよく似た有機塩素系殺虫剤だ。

『沈黙の春』の出版後、アメリカではどんな動きがあったのだろうか。作品のなかで否定的に書かれていたDDT、DDD、アルドリン、ディルドリンなどは、その使用が禁止もしくは厳しく制限されるようになったのだ。

 一九七二年、アメリカでDDTの使用は環境保護のため制限され、一九八三年には有機塩素系農薬の生産は三分の一以下(一九六二年と比較)に減った。産業界は、持続性が少なく、生体内に蓄積しない農薬の生産を目指した。日本でも、一九六九年に国内向け製造禁止、一九七二年に使用禁止となった。一九八〇年代までには先進国では使用が禁止された。