火の発見とエネルギー革命、歴史を変えたビール・ワイン・蒸留酒、金・銀への欲望が世界をグローバル化した、石油に浮かぶ文明、ドラッグの魔力、化学兵器と核兵器…。化学は人類を大きく動かしている――。化学という学問の知的探求の営みを伝えると同時に、人間の夢や欲望を形にしてきた「化学」の実学として面白さを、著者の親切な文章と、図解、イラストも用いながら、やわらかく読者に届ける、白熱のサイエンスエンターテイメント『世界史は化学でできている』が発刊。発売たちまち5000部の重版となっている。
池谷裕二氏(脳研究者、東京大学教授)「こんなに楽しい化学の本は初めてだ。スケールが大きいのにとても身近。現実的だけど神秘的。文理が融合された多面的な“化学”に魅了されっぱなしだ」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。好評連載のバックナンバーはこちらから。

古代エジプト、ピラミッド建設の労働者の意外すぎる給料Photo: Adobe Stock

酒と農業の始まり

 酒(アルコール〔エタノール〕)とのつきあいは、おそらくいまから一億三千万年前までさかのぼる。果実をつける種子植物(花を咲かせる植物)が登場した時代だ。その頃の私たちの祖先は、まだ人類になっておらず、恐竜に怯えるリスのような初期哺乳類だった。そこに、サッカロミセス(サッカロマイセス)・セレビシエという果実を好む「酵母」が現れた。

 サッカロミセスは、果実の果糖やブドウ糖などの糖から生活のエネルギーを得る。アルコールを副産物としてエネルギーを得る方法は効率はよくないが、その代わりにアルコールを毒とする他の微生物を寄せ付けない効果があるのだ。

 そして、果実を食べる哺乳類は、果実が成熟したかどうかをアルコールの匂いで知ることができる種が有利になった。そのため、私たちの祖先は、アルコール好きの性質を持って進化してきたのだろう。
はじめは果実や蜂蜜などの自然発酵によって酒ができたのだろう。

 酒をつくる酵母は自然界では糖分の多い環境に暮らしており、果実の皮などにも付着している。そのため、果実をつぶして容器に置けば、次第にアルコール発酵が進む場合が多い。石でも木でも凹みがあるところに果汁や蜂蜜を放置しておけば、自然界にある酵母の胞子が入り込んで発酵が始まる。いわば自然にできあがった「お酒」である。

 水以外の「飲み物」が世界史上に本格的に登場したのは約一万年前。ホモ・サピエンスが定住生活をし、農耕革命を起こしたときだ。

 いまのところ年代が確認された最古のアルコール飲料の遺物は、中国の賈湖遺跡で発見された約九千年前のものである。二〇〇四年、この遺跡から発見された壺の内部に残っていたものを化学分析すると、「米、蜂蜜、ブドウ、サンザシ」が使われていることがわかった。九千年前の人々は、これらの材料を混ぜた「ブドウとサンザシのワイン、および蜂蜜酒、さらには米のビールを混ぜた複雑な発酵飲料」を味わっていたのだろう。