「減収1000万円」米価暴落が被災地農家を襲う <br />アベノミクス選挙が忘れた被災地の現実<br />――河北新報社編集委員 寺島英弥津波に耐えて残った、北上川のヨシ原
Photo by Hideya Terashima

安倍政権の経済政策「アベノミクス」をめぐる論戦に明け暮れる衆院選から、被災地は忘れられたかのようだ。震災から復旧しつつある農地を懸命に背負う住民を、本年産米の米価暴落が襲った。多くが営農を断念した地域を支える宮城県石巻市の農家は、減収が約1000万円に上る。「支援が消えれば、地域で踏ん張ろうとする担い手もいなくなる」と訴える。

作付け復活後急速に増えた
営農断念農家からの耕作委託

 石巻市の北上川(追波川ともいう)下流域は、追波(おっぱ)湾に至る川面にかつて十数キロにわたってヨシが茂って「日本一のヨシ原」といわれ、風にそよぐ葉音が環境省の「残したい日本の音風景100選」に選ばれた。2011年3月11日の東日本大震災の津波は北上川沿岸をも襲い、同市釜谷地区では大川小学校の悲劇を生んだ。両岸ではいまなお延々と築堤と道路造りが続き、ヨシ原も「干潮時も水が引かない所が増えた。震災前の3分の2が生えなくなった」と地元の人は話す。ボランティアらの支援で少しずつ復元作業中だ。

 北岸にある同市北上町の橋浦地区は広々とした水田地帯で、やはり津波にのみこまれた後、大規模な復田工事が続いてきた。農林水産省がまとめた岩手、宮城、福島の被災3県の農地復旧状況は、14年度初めの時点で、計画される1万7590ヘクタールのうち、66%が終了した。被災農地が最も多かった宮城県は、復旧対象の72%に当たる1万90ヘクタールが復旧したが、被害が深刻だった北上川下流域はまだ数年を要するという。

 大内弘さん(52)は橋浦地区の農家で、現在45ヘクタールの水田を耕作している。17年前、住宅設備会社を辞めて就農し、父親の70アールの水田を引き継いだ。当時、橋浦地区では1ヘクタール規模の圃場(ほじょう)整備事業が始まり、「減農薬の大型農業をやろう」と決意した。高齢化と後継者不足に悩む地元農家から頼られる存在となり、耕作委託を意欲的に増やした。「米工房 大内産業」の看板を掲げ、震災前には20ヘクタールまで広げた。