圧倒的リアリティに加えて
エンタメ作品としても優秀

 つまり、日本人にとっての『シン・ゴジラ』の圧倒的なリアリティは、日本人の多くは共有できるものの、日本の外に出ると、思っている以上に共有の難しい「日本特有の文脈」に依存している。マレーシアでの鑑賞はそのことに気づくきっかけとなった。

 国にせよ、組織にせよ、集団で意思決定を行ったり、行動するためには、「共通認識」が土台となる。シン・ゴジラの劇中での意思決定の土台は、きわめて現代日本的なのだ。

 しかしながら、筆者はこの映画が傑作であることに変わりはないと思っている。日本的文脈を知ったうえで見ると「とてつもない傑作」に思えてもおかしくないだろうが、それを知らなくても「怪獣映画」として十分に面白い。ゴジラの攻撃シーンは大迫力だし、Yashiori作戦のディテールも(トンデモ要素満載だが)素晴らしい。

 その証拠に、そんな文脈をわからない、筆者の8歳と5歳の子どもたちは、映画鑑賞以来、毎日ゴジラと自衛隊の戦いの絵を描き、ネットで予告編の映像を見つけては興奮している。売り切れのためネット上でべらぼうな高額で取引されているゴジラのフィギュアを見つけてきて、「サンタさんにお願いしてプレゼントしてもらう!」と、頭の痛いことまで言ってくる始末だ。

 その意味で、海外でのどれだけこの映画が評価されるか、興味深いところではある。そして見方を変えれば、海外での『シン・ゴジラ』公開は、こういった日本独自の文脈の輸出でもある。たとえわずかでもかまわない、それを理解してくれる外国人が少しでも増えてくれるならば、それは日本人として望外の喜びだと、筆者は思っている。