ソマリアの海賊がアデン湾で中国の役人が乗っている船の襲撃に成功した。海賊は身代金について、「300万ドル。これ以上はビタ一文まけないぞ」とわめいた。中国の役人は、「250万!」と金額交渉に出た。すると海賊は「俺を馬鹿にしてるのか。あんたがたの言葉で“250”が“間抜け”って意味だってことも知ってるぞ」と凄んだ。役人は自らの立場を悟り、「それなら300万。ただし領収書には700万と書いてくれ」と条件交渉に方向を切り替えた。感心しきった海賊は、親指を立てながら言った。「金をふんだくる腕は俺たちより一枚も二枚も上だ。さすが中国の役人だな」

 この小話のみその一つは250という数字。中国では、「二百五」と書く場合が多い。間抜け、アホといった意味の表現に使われる250は、日常生活の中ではなかなか出会えない。日当や報酬を決める時は250を避け、たいていはそこにさらに10元を足して260元にする。ホテルやレストランの料金設定も同じだ。もし誰かに仕事を手伝ってもらって、その謝礼に250元を握らせたら、相手はきっと怒りだす。好意であなたを助けたのに、なぜこの私を侮辱するのか、と。

 ところで最近、中国では信じられないことが起きた。とある外資系の自動車メーカーが中国で売り出したある車の品番になんと250という数字を使った。それにショックを覚えた中国人も多い。なかには、「この車は絶対売れないだろう」と言いきる人もいる。メディアの報道を見ると、このメーカーに「なぜ中国では使われない数字をあえて使うのか」と質問した人もいたという。しかし、メーカー関係者は涼しい顔で「国際的に統一感を出すためです」と答えたそうだ。

 これらの報道を読んで、思わずこのメーカーに「おまえたちは250か」と言いたくなった。確かに、他国ではこの数字を使って車を販売しているかもしれない。しかし、それぞれの国にはそれぞれの文化と習慣がある。世界で活躍している企業ならばいまさらこうした基本の基本を教える必要はないはずだ。13という数字を嫌う欧米に13という数字を押しつけることと同じような行為だ。

 たかがアラビア数字ではないか、という反論が聞こえてきそうだ。しかし、この数字に泣かされることもあると認識をもってもらいたい。私のこの忠告はそのメーカーに届くだろうか。