ミクシィ復活をけん引し、現在は複数の企業の取締役やアドバイザーのほか、スタートアップ投資活動(Tokyo Founders Fund)など、幅広い活躍をつづける朝倉祐介さん。そうした多面的な経験をベースに築かれた経営哲学をぎゅっと凝縮した初の著書『論語と算盤と私』が10/7に発売となりました。発売を記念し、本書で取り上げた経営テーマに即してさまざまな分野のプロとのリレー対談をお送りしています。
今回のお相手は元森ビル取締役専務執行役員CFOで『ファイナンスの哲学』の著者でもある堀内勉さんです。コーポレートファイナンスのプロが「ファイナンスとは道具であり、ある種のフィクションである」という考えに行き着くまでのきっかけともいえる、金融危機に直面した際のご経験を伺っていきます。(構成:大西洋平、撮影:疋田千里)
ファイナンスも株式会社も
すべてはフィクションである?
堀内 ご著書『論語と算盤と私』を拝読しました。会社と経営をめぐる話題をよくもここまで網羅的にまとめられたな、と驚きました。そして、私の子どもといって差し支えない若い世代にもかかわらず、豊富な読書量と、思いを構造化して文章にする能力に感心しました。
朝倉 ありがとうございます。褒めすぎです(笑)。
堀内 朝倉さんはマッキンゼーのコンサルタント出身ですよね。率直にいうと、コンサルタントと経営者は根本的に行動原理が違っていて、立場が違うからこそお互いに機能すると長らく思っていたんですが、近年は朝倉さんはじめマッキンゼー出身の若手で経営者として成功されるケースが増えていますから、両者の行動原理を併せ持つ人が増えているのかな、と時代が変わったのも感じました。
朝倉 同期や後輩を見ても、入社時点でコンサルタントとして長く活躍しそうなタイプもいれば、ちょっとはみだし気味のタイプもいましたので、わりと幅広い人材を採るようにしているのかもしれませんね。その意味では懐の深い会社でした。私は完全に後者でしたし、コンサルタントには向いていなかったと思います。
堀内 どうしてそう思うのですか。
朝倉 自分が求めているのは、物事を当事者の側で推進することだと、後になって気づいたんです。ビジネスには事業の主体の側に身を置いて経済活動を行う仕事と、そうした人々を手助けする役割の仕事がありますよね。弁護士や税理士、会計士といった士業が後者の典型例だと思うのですが、サポート役として非常に細かい点を分析・検討し、抜け目のない完璧な成果物を仕上げてクライアントに届けることを目指していて、コンサルタントもそれに近いところがありますよね。
士業にしてもコンサルタントにしても、クライアントに向けた自分たちのサービスをビジネスとして拡大することを目的とした主体者と捉えることもできますが、基本的には事業の主体者に対してサービスを提供するサポーターと位置付けられると思いますし、そうあるべきだと思います。仕事に取り組む態度は、主体者かサポーターかによって異なるように感じます。
もちろん、それぞれの立場に優劣や貴賤があるわけではありませんし、趣味の問題です。ただ、自分がやりたいことは当事者寄りなのだなと、両者を経験して感じました。
堀内 まあ、それが彼らの仕事ですもんね(笑)。実際に朝倉さんにお目に掛かってこうして話していると、すごくパッション(情熱)に溢れている一方で、クールで慎重なタイプにも見えるし、それでいて大胆な側面もあるような気がするし、いろいろな要素を併せ持っている点で経営者に向いているのかなと思いますね。経営者の中には、その場でお話をされて聴衆の心をわしづかみにするのが得意でも、ご自身でそれを文章化するのが苦手な方が多いのに対して、朝倉さんは合理的に文章をまとめるのが上手だから、その点は良い意味で異質ですね。
朝倉 私も堀内さんのご著書『ファイナンスの哲学』を拝読して、僭越ですけど、自分の主張と非常に相通ずる点があるなと感じていたんです。特に「ファイナンスとは道具であり、ある種のフィクションである」と指摘されていた点。合理的でない、非常に血の通った人間像を反映してファイナンスのみならず資本主義をとらえるべきでないか、というご趣旨には大変感銘を受けました。
堀内 最近、行動経済学では、人間は必ずしも合理的に行動しないとされていますが、まだまだ資本主義の前提としてホモエコノミクス(経済的合理人)が前提になっていて、それでいいのかなと。
朝倉 私自身は、合理的な経済人はもとより、株式会社やゴーイングコンサーンという概念もまたある種のフィクションだと考えています。企業価値を評価するDCF(ディスカウントキャッシュフロー)法でも事業が未来永劫続くことを前提に現在価値を算出するように、上場企業はゴーイングコンサーンを前提としています。でも、20年後や30年後のことなんて誰も分からないし、永久にキャッシュを生み続けるという前提自体がフィクションじゃないかと思うんですね。もともと、そうした考えを持ってはいましたが、実際に上場企業の経営に携わって、なおさらその思いを強くしたところがありました。堀内さんはコーポレートファイナンスの最前線で活躍されていながら、従来のファイナンスの常識とは違った見方を提示されていたのが非常に新鮮に感じました。
自分のなかでどんどん強まっていった
「資本市場や金融って何なのか」という疑念
堀内 今の考え方に至ったのは、私のこれまでのキャリアが大きく影響していて、この本を書いた動機でもあります。私は新卒で日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行し、長く資本市場業務に携わってきました。非常に面白くてやりがいを感じ、日本における資本市場の活性化に少しでも貢献できればと頑張っていたんです。そして、ちょうど海外赴任の話が出たところで日本の金融がおかしくなり、資本市場業務に強い人間が本部に必要だということで、急きょ97年に同行総合企画部に異動しました。結局、ご存知のような金融危機が起こり、山一証券と北海道拓殖銀行、翌98年に日本長期信用(現新生)銀行、日本債券信用(現あおぞら)銀行が相次いで破綻していくんです。
朝倉 銀行の財務悪化が露呈し、00年頃からの大手銀行再編につながった、まさしく怒濤の時代ですね。
堀内 そうです。逆風が吹き荒れるなかマーケットに詳しい人材だということで、自己資本対策とIR(投資家向け広報)活動に携わり、格付機関に興銀の健全性をアピールして回ることになりました。今まで自分が信じていたものが一気に瓦解していくなか、足下の興銀の財務体質も自身で分析して相当痛んでいるのも分かっていました。信じることとやっていることのギャップに精神的に参っていた矢先、追い討ちをかけるように98年には大蔵(現財務)省接待汚職事件が発覚したんです。
朝倉 まだ金融監督庁がなかった頃に起きた民間金融機関と大蔵官僚との贈収賄事件ですね。
堀内 はい。それで大蔵官僚や日銀職員、銀行員や証券マンなどが続々と逮捕されるなか、興銀で上司だった人が逮捕されたりする中で、私も東京地検特捜部から28回も事情聴取を受けました。私はまだ担当者だったので聴取されるに留まったのですが、会社がガタガタになっている状況で、国家権力からも責め立てられ、私は自分が何のために頑張ってきたのかがわからなくなったんですね。結果として「所詮、世の中は金でしかないのか」と思うようになり、とりあえず自分にできることはこれしかないと外資系証券に転職したものの、やはり迷いながら自分を仕事に追い込むことができずに2年程度で辞めることになりました。
朝倉 その後、不動産の世界に身を転じられたわけですね。
堀内 私の中では、「結局は資本市場や金融って何なのだろう」という疑念がどんどん強くなっていました。職場の同僚たちは顔色ひとつ変えず黙々と働いているけれど、どうして誰も疑問を抱かないのかが不思議でたまらなくなりました。考えれば考えるほど分からなくなっていくんです。だから、もう完全に金融の世界から離れようと思ったんです。
不動産会社に入ったのは、メーカーや小売業よりは金融の仕事と相通ずるところがあったからです。不動産ファイナンスと呼ばれる手法もあるように、金融と不動産の世界は表裏の関係にあり、ちょうど日本でも不動産の証券化ビジネスが立ち上がったばかりの頃でした。プロと呼べる人がまだ日本では存在していない中、自分もイチから勉強してきたというわけです。
朝倉 そうしたご経験が『ファイナンスの哲学』の執筆へつながっていかれたんですね。
堀内 例えて言えば、資本主義経済に身を置くというのは下りのエスカレーターを駆け上がるようなものです。足を止めた途端に、どんどん下っていってしまいます。ですが「このままだと下ってしまうから走れ!」と言われても納得できません。一体それはなぜなのか、自分が立っている社会や金融について再考してみたいという思いが強まっていきました。すみません、身の上話が長くなってしまいましたけど、そんなことを経て、不動産業界に身を移した後もコツコツと勉強を続けて、その成果をまとめたのが『ファイナンスの哲学』なんです。(後編に続く)