マッキンゼー・アンド・カンパニーで20年にわたってパートナーを務め、新刊『いい努力』が話題の山梨広一氏と、同じくマッキンゼー出身で、新刊『ミライの授業』が話題の瀧本哲史氏。じつは瀧本氏の入社時の面接官が山梨氏だったとのこと。マッキンゼー時代、山梨氏はどう人を見抜き採用していたのか、瀧本氏は何を思ってマッキンゼーの門を叩いたのか、そして二人はマッキンゼーでどんな学びを得たのか?マッキンゼーで同時期に働いていた二人ならではの濃厚なスペシャル対談、前編!(構成:古賀史健、写真:大坪尚人)
なぜ「入社面接」がクリスマスイブなのか?
瀧本 どうもご無沙汰しています。
山梨 テレビではよくお見かけしていますが、かなり久しぶりですよね?
瀧本 おそらく山梨さんは憶えていないと思いますが、僕がマッキンゼーに入社するときの面接官が、山梨さんだったんです。
山梨 そうでしたっけ?何年入社ですか?
瀧本 僕は97年入社で、96年の12月24日に面接を受けました。山梨さんともうひとりの方に、3時間近いインタビューを受けたんですよ。
山梨 よく日付まで憶えてますねえ。
瀧本 さすがにクリスマスイブでしたからね(笑)。「この人たちは、こんな日にまで仕事してるんだ!」と驚きました。あとになって思えば、クライアントが休んでいる日に面接を設定せざるをえなかったんでしょうけど。
山梨 ええ、そういう事情だったんだと思います。
瀧本 それで採用決定の電話をいただいたとき、担当の方から「瀧本さんは、非常に突出した部分と、まったく欠けている部分があります。欠けている部分については、入っていただければ身についていくでしょう」と言われたんです(笑)。
山梨 それが96年とか97年か。僕がマッキンゼーに入ったのは90年なんです。そして96年というと、たしかパートナーになってから2年目あたりですね。当時はリクルーティング担当のパートナーでした。普通、面接といえばもっと若いスタッフが担当するんですが、たぶん瀧本さんが優秀だったから、僕が出ていって一回で決める、みたいな流れだったんじゃないかと思います。