元ミクシィ社長の朝倉祐介さん初の著書『論語と算盤と私』では、会社という組織を軸に、起業期、成長期、成熟期、衰退期といったステージごとの組織の様子やそこで発揮されるべきリーダーシップ、市場との関係性などについてまとめられています。では、そうした組織や市場の中にいる「個人のあり方」はどうあるべきか――本書で触れられている朝倉さんなりの考え方を3回に分けてご紹介します。第2回の今回のテーマは、「人生の安定とは何か」。
前回、人生の岐路で考えるべき3つのキーワード「動機」「選択基準」「代替案」について述べました。代替案を用意したリスクマネジメントという点から派生して、私なりの「安定」に対する考え方に触れておきたいと思います。
私の風変わりな経歴を指して、「リスクテイカー」や「チャレンジャー」と評されることもあります。そう思っていただけるのはありがたいのですが、私自身は臆病な性格ですし、「安定」を大事にしたいと思っています。仕事が突然なくなることや、食うに事欠く状況というのは、誰にとっても恐ろしいことでしょう。ただ、ここで注意すべきは何に安定を求めるかということです。
「安定」と聞くと、「寄らば大樹」を思い浮かべる方も少なくないかもしれません。ですが、大企業をはじめとした組織に安定を求めることは、非常に危険なことだと私は思っています。新卒入社した会社に最適化した揚げ句、ある日突然、「明日からあなたの席はありません」と言われては困るからです。
右肩上がりの高度成長期ならいざしらず、これは実際に起こり得る話です。大企業に安定を求めるのは、その企業が永続的に存続し、自分を雇用し続けるということへの「賭け」です。それを承知で組織に安定を求めるのであれば、それもまたいいでしょう。ですが、自分が負っているリスクを理解していないと、後々になって思惑と現実に大きなズレが生じかねません。
昨今は社員の約8割が管理職になれない時代だといわれています。「自分がいる会社はずっと安定しているし、勤続年数を満たせば一定のポストを得られる」という昭和的な会社員人生に懸けていた方にしてみれば、由々しき事態でしょう。
しかし当たり前の話ではありますが、いつの時代においても、安定を求めることができる対象は、「自分自身」にほかならないのではないでしょうか。規範論として、誰にも頼ることのできない社会が「正しい」とは申しません。それでも、目の前の現実がそうである以上、各自が各自なりに、どこに行っても自分の力でやっていける状態をつくり、自己防衛することが、一番安定に資するのだと思います。
だからといって、一足飛びに起業することを勧める気もしません。実際には、大企業のなかのほうが、個人にとってできることの幅がより広がるということもあるでしょう。問題は自分がどこにいるかではなく、どこにいようとも、放り出されたときに処していけるだけの自己鍛錬を行っておくべきだということです。この意味で、会社も個人も独立していなければならないのだと思うのです。
「やりたいことがない」のは恥ずべきことではない
就職活動時期の学生の方とお会いしていると、「自分が本当に何をしたいのか分からない」という悩みをお聞きすることがよくあります。ここまで「やりたいこと」がある程度固まっている方を念頭に、話を進めてきましたが、まずもって大多数の人々にとって、「やりたいことなんてない」という事実を受け入れるところから始めるべきではないでしょうか。社会経験の乏しい学生の方であれば、なおさらそうでしょう。別にそれは恥ずべきことではありません。
内省的に自分を振り返ってみるのもよいのですが、空の箱の中をどれだけ探ってみても、出てくるものなどありません。「やりたいこと」を見つけるという点においても、また「安定」を得るための自己鍛錬という点においても、「自分探し」よりも「自分づくり」という気持ちで臨んでいくべきではないでしょうか。その過程で思いがけず、「夢」や「志」に出くわすこともあるでしょうし、結局見つからないまま終わることもあるでしょう。そんなものではないでしょうか。徒に「終生のテーマを見出さなければならない」などという強迫観念に囚われる必要もないかと思います。(続きは次回12/20に!)