ミクシィ復活をけん引し、現在は複数の企業の取締役やアドバイザーのほか、スタートアップ投資活動(Tokyo Founders Fund)など、幅広い活躍をつづける朝倉祐介さん。そうした多面的な経験をベースに築かれた経営哲学をぎゅっと凝縮した初の著書『論語と算盤と私』が10/7に発売となりました。発売を記念し、本書で取り上げた経営テーマに即してさまざまな分野のプロとのリレー対談をお送りしています。
今回のお相手はオリックス株式会社シニア・チェアマンの宮内義彦さんです。リース最大手・オリックスの立ち上げからかかわり、長らくトップとしてグループを牽引し、売上高2兆4000億円、当期利益2600億円(2015年度)の規模にまで育て上げてこられた宮内さんに、事業を生み出し軌道に乗せるまでの心持ちや、多角化成功の背景について伺います。(構成:大西洋平、撮影:疋田千里)

日本一のリース会社を作る…!
といった一大決心とは無縁の船出だった

朝倉 宮内さんといえば、みずから道を拓いてこられた方という印象を強く持っています。1950年代に米国のビジネススクールに留学してMBAを取得され(ワシントン大学経営学部大学院修士課程修了)、その後も大手商社(旧日綿實業、ニチメンを経て現双日)に入社されるも新事業だったオリエント・リースの創設に参画され転籍までなさって今日のオリックスグループの礎を築かれました。いずれも当時としては珍しいことだったのではないかと思います。

宮内義彦(みやうち・よしひこ)さんプロフィル/1935年神戸市生まれ。1960年日綿實業(現双日)入社、1964年に企業内起業で誕生したオリエント・リース(現オリックス)入社、1970年同取締役、1980年同代表取締役社長・グループCEO、2000年同代表取締役会長・グループCEO、2003年同取締役兼代表執行役会長・グループCEO、2014年同シニア・チェアマン(現任)。ACCESS取締役、三菱UFJ証券ホールディングス取締役を兼務。関西学院大学商学部卒業、ワシントン大学経営学部大学院修了(MBA)

宮内 過去を振り返ってみて後付けで考えれば、確かにそれまでになかったことに取り組んできたと言えるのかもしれません。でも、折々では特にスペシャルなことをやってやろうという気持ちは100%なかったですね。

朝倉 単に、目の前にあったドアを開けていった、ということですか。

宮内 そうです。留学も運良く特別なルートがあってたまたま声をかけられただけで、当時の若者で米国に行けると誘われれば行かないヤツはいなかったでしょう。商社に入ったときは、海外で仕事をしてみたいという気持ちがあった程度で、いくつか商社のドアをたたいて、翌日から来いと言ってくれたところに入社しただけです。

 いわゆる見習い期間が終わってそろそろ海外へ出られるかと思った矢先、「新会社を作るから、米国に行ってリースという最新ビジネスを勉強してこい」と命じられました。その時点では、勉強した内容を新会社の人たちに教えた後はまた商社に戻るものと思っていたのです。ところが、帰国してリース業を営む新会社が設立されてその一員に加えられると、日々が忙しくてなかなか足抜けなんてできるものではありません。気がついたらすでに50年の歳月が経って、今に至るということですよ(笑)。

朝倉 いずれ起業しようという思いをお持ちだったのですか。

宮内 いや、まったくないです。それに、僕としては何ひとつ無理をしていないし、一大決心とも無縁でした。かっこよく言えば、仕事中心でやってきたということですかね。「自分がいなくなったら、だれがやるのだろう?」という思いは強くありました。

朝倉 自分がやらなければという気概をお持ちだった。リース事業の将来性に対して、いち早く注目されていたのでは。

宮内 いやいや。米国でリースについて勉強するよう突如言われるまで全く知りませんでしたからね。結局、米国のリース会社で3ヵ月間、イロハを教えてもらった。新会社の設立メンバー総勢13人のうち私が最年少で、帰国したら12人の先輩たちが「それで何をするんだ?」と待ち構えていました。こちらとしては、自分が覚えてきたことをすべて理解してもらわないと困るから、一生懸命教える。今思えば先輩たちを相手に恐れ多いことですよね(笑)。

朝倉 それでも教わろうという、みなさんの熱心な様子が想像できます。

宮内 たしかにね。そうして先輩たちにもリースの概要が分かってくると「日本じゃ無理だ」と言い出しました。リースは確定債権にみなされる厳しい契約内容なので、「そんな面倒なものを使わなくても日本には手形があるじゃないか」というのが彼らの言い分です。でも、私も「新しい金融手法の1つなのだから、ぜひとも日本に持ち込まないといけません」と訴えて、侃々諤々と議論しましたよ。そんななか、みな疑心暗鬼のうちに船出をしたら、それなりにお客さまがついてきたんです。すると、目先に果たさなければならない目標が次々と出てくる。その繰り返しでしたね。

朝倉祐介(あさくら・ゆうすけ)さんプロフィル/1982年生まれ。兵庫県西宮市育ち。中学卒業後に騎手を目指して渡豪。身体の成長に伴う減量苦によって断念。帰国後、競走馬の育成業務に従事した後、専門学校を経て東京大学法学部卒業。在学中にネイキッドテクノロジーを設立。マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、ネイキッドテクノロジーに復帰し代表に就任。同社の売却先となったミクシィに入社後、2013年より同社代表取締役に就任し、業績の回復を機に退任。2014年よりスタンフォード大学客員研究員。複数企業の取締役、アドバイザーを務めるほか、起業経験者によるスタートアップ投資活動(Tokyo Founders Fund)も開始している

朝倉 宮内さんの人生は非常にダイナミックで会社の成長も華々しく感じますが、ご本人としては目の前のことを突き詰めてきた結果である、と。

宮内 そうです。あの頃から、「日本一のリース会社を作る!」とか、「リース以外にも多角化、多国籍化する!」といったビジョンを抱いていたら立派でしょうが、微塵も考えたことがないというのが正直なところです。

リース業の2つのユニークな側面が
連鎖反応で多角化を誘発した

朝倉 オリックスといえば、祖業のリース業を中心にかなり幅広い事業を手がけ、成長してこられました。リースを起点として、どのような基準で事業を広げてこられたのでしょうか。余談ですが、学生時代にドリームインキュベータというコンサルティング会社の選考試験を受けた際に出されたお題が「オリックスの新規事業を提案しなさい」で、すでにさまざまな事業を手がけておられるなか、非常に頭を悩ませた思い出がございます(笑)。

宮内 そういう試験のテーマになっていましたか(笑)。幸いなことに、リースというのは金融という巨大なマーケットの一番端っこに位置する小さな事業でした。でも、オリックスが先鞭をつけてうまく立ち振る舞い始めると、競合がどんどん参入してきます。リースのマーケット自体も拡大しましたが、そのピッチ以上の速さで競争が激化してきたのです。リースだけに特化していては、いずれ頭打ちになってしまう。日本にリースを普及させることが我々のミッションではありましたが、だからといってリースと心中はできない、というのが社内の意見でした。

朝倉 打って出るため、多角化は自然の流れだったんですね。

宮内 ただし、当時の大株主だった銀行や商社は自分たちのテリトリーを侵食してほしくないから、「御社がやりたいリース以外の事業は、すべて我々がすでにやっていますよ」と抑制にかかります。大会社の子会社である限り、こうした制約からは逃れられません。そこで、多角化はそれとして「独立すべきだ」という気運が社内で高まり、非常に早い段階から株式上場を検討し始めました。これは当時のトップ(故乾恒雄氏)の慧眼であり、リーダーシップがあってこそです。とにかく、「ここから飛び出そう!」と。まあ、そんな勇ましい話ではなかったですけどね。大株主に叱られながら、恐る恐る、怖々と、飛び出していきました。

朝倉 独立性を重視された当時の社長の決断があったからこそ、成長できたわけですね。その後、リース業以外ではどのような事業から始めたのでしょうか?

「リース業には、2つのユニークな側面がある」と宮内さん

宮内 リース業には、2つのユニークな側面があります。ひとつは先にも述べたとおり、リースは金融という“大海”の片隅に位置していること。大海の端っこから真ん中に漕ぎ出す方策があり得ます。もうひとつは、機械・設備を賃貸する専門家であること。これは車や船舶、飛行機など、さまざまな広がりがあります。しかも、それぞれ機械・設備ごとに、周辺の商売がどんどん広がるのです。

 たとえば最初に手がけた自動車関連を例にとりましょう。通常のリース契約では、お客さんが希望する車を我々が購入し、それを貸し出す代わりに毎月所定の金額を所定の期間にわたってお支払いいただきます。ただし、車をリースするにはメンテナンスや運行などの付帯サービスが不可欠です。そうして車に関するノウハウが溜まってくると、リースだけじゃなくレンタカーをやったらどうか、今時ならカーシェアやってはどうか、という話になるわけです。また、リース契約が満了した車は我々のもとに戻ってきますから、当初はそれらを中古車販売業者に売却していましたが、「こんなに多くの車を売るぐらいなら、いっそ自分たちでやればいい」と、中古車販売ビジネスも始まりました。このように、車ひとつとっても自然な流れで周辺事業にどっぷりと入っていくわけです。

失敗は早く見つけて即撤退へ
成功したら間髪入れずに大勝負!

朝倉 たしかに、そうした自然の流れで他の分野でも事業が広がりそうですね。

宮内 そうです。船舶のリースを手掛けるようになったら、そのうち自社グループ内で運行会社も営むようになりました。飛行機も、当初は単にリース機種を提供しているだけでしたが、今は管理・メンテナンス業務までカバーしています。アイルランドに100%出資で設立した飛行機のリース専門会社は、世界30ヵ国以上の航空会社や金融機関、投資家が保有する航空機を管理し、リース料の回収や機体整備の確認なども行っています。

 それぞれを単体でみると、「バラバラに色々なことをやっている会社」と思われるかもしれませんが、我々からすれば、つねに今あるビジネスの隣接地へ手を伸ばしてきた結果なんです。右手と左手でその先、さらに先、と開拓していき、気がつけば両手の先は全然関係のないことを手掛けていたというのがオリックスグループの歩みでした。ですから、こっち端でフグの料理屋を営んでいる一方、あっち端ではヘッジファンドを運営しているような状況になるわけです(笑)。でも、いずれも巻き戻してみると発端であるリースへ帰着するのだから、実は不思議な事業なんて何もやっていないんですね。

「『言うは易し行うは難し』の多角化を成し遂げるコツがあるのでしょうか」と朝倉さん

朝倉 多角化というのは、理屈で考えれば、そのような発想で取り組んでいくのが当然の結論なのかもしれません。でも、「言うは易く行うは難し」で、既存事業に紐付く人たちに新規事業を手がけてもらうことは簡単ではありませんよね。また、新規事業の百発百中は現実的にありえないため、撤退の局面でも難しい判断を迫られそうです。実務上は、現場でかなりの葛藤もあるのではないかと思うのですが、それを上手くおさめて多角化を成し遂げてきたコツのようなものはあるのでしょうか。

宮内 当然、新しい事業の成功率は非常に低く、失敗のほうがはるかに多いものです。だから、失敗は早く見つけてさっさと撤退する。成功についても、成功を確信したらできるだけ速くドーンと大勝負する。この繰り返しですね。発案者や長く携わってきた人たちに任せると客観的に判断できなくなって、撤退が遅れます。だから、そんな場面で僕が「ごくろうさんでした!」と背中を叩いたらいいだけのこと。そういう企業文化を作れば、「アイツはあんな大失敗をして、けしからん」なんて話になりません。まあ、あまり失敗されすぎても困るんですけどね(笑)。

朝倉 成功するためには、ある程度の失敗は大前提だということですね。

宮内 そのとおりです。会社の中に「失敗してもいいから、何か新しいものを生み出すんだ!」という雰囲気があることが大切です。会社の規模が大きくなると、みな守りに入って、次第にそういったムードが薄れてくるものですから。

多角化した組織で一体感を生み出すには
チームプレーや事業間のヨコ串を意識させる

朝倉 多角化してくると、目の前の事業に対する使命感はみなさんお持ちになる一方で「一体オリックスグループって何を追求していたんだっけ?」と全体的な方向感を見失ってしまう人が出てくる恐れはないでしょうか。グループ全体としての一体感も重要になってくると思われますが、どのような仕掛けをしていらっしゃいますか。

宮内 上手く機能しているかどうかはわかりませんが、“組織図にこだわって動くな”とは言っていますね。チームプレーや事業間のヨコ串を常に意識させるように、ありとあらゆる仕掛けをつくっています。日本のサラリーマンは、自分のタコ壺に籠もって外を見ないのが大好きですから。「大海を泳げ!」とけしかけるのはしょっちゅうです。それが日常茶飯事という意味では、仕掛けが成功していないとも言えるかもしれません。

朝倉 オリックス球団も、1つの結束心のもととなっていくのでしょうか?

宮内 今年みたいに弱いと、社員が結束するどころか、むしろ分裂するんじゃないかと非常に心配ですよ(笑)。

朝倉 私は子どもの頃、後にオリックス球団と合併することになる近鉄バファローズのファンだったものですから、ぜひ頑張ってもらいたいと思っているのですけど(笑)。

宮内 そうだよね(笑)。