今回から、経営学教室の新しい連載執筆メンバーとなった。初回は、日本企業であることを捨てて、東アジアに生きる企業を目指したらどうかと提案する。というのも、今や日本市場に頼っていたのでは成長は困難であり、生産拠点としての日本もその地位がどんどん失われている。このままでは座して死を待つことになるからである。

 考えてみれば、製品の国境はすでに大昔に消滅している。消費もボーダレスになり、消費者の国境は限りなく低くなっている。日本から海外に出かける日本人は多いし、海外で活躍する日本人もそれなりにいる。一方で、日本へ来る外国人も年々増えているし、日本で働く外国人も多い。要するに人の流動化も進んでいる。それにもかかわらず、あいかわらず日本企業が国籍にこだわっているのは、時代遅れではないかと思う。

 そうかといって、日本の企業にいきなりグローバル企業に変身しろといっても無理がある。そこで私は、国内にも全国区の企業と地域企業があるように、グローバル企業にもグローバルとリージョナルの二つがあってもいいのではないかと考え、そして普通の日本企業が目指すべきは、東アジアに根を張るリージョナル企業の方が良いと提案したい。その根拠を以下に述べる。

根拠1 進む消費者の均質化

 最近の若い人たちを見ていると、我々の世代と比較して良くも悪くも、日本に対する思い入れが少ない感じがする。

 しかし、これは実は日本の若者だけに共通する話ではなく、アジアの若者すべてに共通することである。自分の子どもの海外の友達、あるいは早稲田の学生・留学生を見ていると、驚くほど嗜好が均質である。とりわけ、若者にとって重要なアイテムであるファッション、音楽、コミック、アニメ、食べ物などにその傾向が著しい。

 日本の若者が好む韓国の音楽(K-POP)は、台湾やベトナムでもはやる。だからといって、それらの国の人々が全て韓国のものにこだわるかと言えば、そんなことはない。彼らにとって良いものは良いし、好きなものは好きなもので、国籍は二の次である。