【久賀谷】「高齢の人の話を聞くべきか否か」ということそのものについての価値観の隔たり、ですか。詳しく教えてください。

【白澤】私は、若い人と高齢の人の間に隔たりをつくったひとつの大きなきっかけは、「敗戦」にあると考えています。
敗戦をきっかけに、教育はガラッと変わり、食べ物もアメリカ由来のものが多く入りました。それまでの「縦断的な価値観」は途切れ、「横断的な価値観」が生まれたんです。

【久賀谷】どういうことでしょうか?

【白澤】明治時代や大正時代、そして昭和の戦前は、たとえばある女性がお嫁に行ったときには、おばあちゃんがつくっていた味の味噌汁をつくっていたものでした。祖母、母、自分と、味が受け継がれている。これを「縦断的な価値観」と僕は読んでいます。
男の子も、お父さんの背中を見て大人になっていった時代でした。これは現在のフランスでも根づいている光景です。パン屋さんの息子はパン屋さんになり、そのまた息子もパン屋さんになる。このように価値観が引き継がれていくんですよね。
ところが、日本の戦後は、親と違う職業を選ぶケースがかなり増えました。食べ物も、親とは違う、アメリカ由来のものを食べることが増えました。おばあちゃんがつくっていた味とは違う味の味噌汁をつくる女性が増えたんです。その女性は何を食べているかというと、「同世代の友達が食べているもの」です。つまり「横断的な価値観」に、生活のいろいろな部分が支配されているわけですね。

【久賀谷】なるほど。

【白澤】「横断的な価値観」が浸透しはじめると、必然的に「違う世代への批判」が生まれてきます。次の世代に価値観を引き継げなかった結果、「親世代・祖父母世代への批判」が生まれるのです。
現代で「横断的な価値観」が継承されている家族は、とても稀です。その珍しいケースの一つが、先ほども例に挙げた、三浦雄一郎さんのご家族でしょう。
三浦雄一郎さんは、山岳スキーヤーであった父・三浦敬三さんの背中を見て育ちました。雄一郎さんが「90歳になってもエベレストに行く」と言っているのは、父の敬三さんが99歳でモンブランを滑っているからです。それが目標になっているんです。
そして雄一郎さんの次男・豪太さんも、彼から見て祖父である敬三さんのメソッドを使ってスキーの腕を磨いてきました。さらに豪太さんも、ご自身の息子を山に連れていっていますから、かれこれ4世代、山とスキーに馴染んだ価値観を育んでいます。
彼らが専門とするジャンルは非常に特殊なので、他の人からはなかなか学べないということもあるのかもしれません。お父さんやおじいちゃんから学ぶしかない。これがまさしく、フランスでパン屋さんの息子がパン屋になったというのに近い、「縦断的な価値観」を継承している例なんですよね。
日本のほかの家族は、ほとんどが「横断的な価値観」に生きています。同級生は何をやっているのか。同級生はどういう仕事をしているのか。同級生はどういうふうに結婚したのか。同級生は子どもをどの中学に入れたのか。そのような価値観を優先します。「親が出たこの大学を選ぶ」ということはほとんどなく、「仲のいい友達がここにいくから、自分もここを選ぶ」というように、横断的な価値観で判断をするんです。

【久賀谷】非常に納得がいきます。