「この先に階段がある。2階にもフロアがあって、大人数でも一緒に座れるような作りになっているんだよ。でも、中国では一般的な個室は設けていないんだ」
岩本が、この店の常連のごとく説明をしてくれた。
「伊藤さんの主義で、この店はお持ち帰りなしの真面目な店になっている。大企業の駐在員たちが接待などでよく使っていて、客筋も良いんだ」
「お持ち帰りって、そんな店が多いんですか? 共産国家で……」
「ああ。おそらく、上海のこの手の店の半分以上は黙認しているし、積極的にそれを売りにしているところもある」
隆嗣が、綺麗な女性を伴って戻ってきた。背中まで伸びた真っ直ぐな黒髪が印象的で、日本の出勤帰りのOLといったような地味なワンピースにカーディガンを羽織っており、とてもクラブの女性とは思えない。
卵形の顔の中央にある真っ直ぐな鼻梁の先端がやや丸みを帯びており、その目は二重で大きいが、目尻はやや下目に傾斜していて優しさを感じさせる。その目元に幾筋かの皺を認め、見た目より意外と年齢は高いのかと想像したが、それも却って彼女の母性を美しく表現しているように思われた。
「岩本社長。お久しぶりです」
上手な日本語だ。
「やあ、お春ママ。おじゃましてますよ」
隆嗣がボックスに座り、彼女もテーブル手前の丸椅子に腰掛けた。
「こちらが山中さんですか、お若いですねえ」
「残念ながら、上海じゃなくて大連に駐在させます。山中君、こちらがママのお春さん」
「チューツジェンミェン、チンドーグァンジャオ(はじめまして、どうぞよろしく)」
彼女は、幸一に向かって中国語で挨拶した。
「ウォジャオシャンチョン、レンシニィヘンガオシン(山中です、お会いできて嬉しいです)」
「中国語お上手ですねえ」
「いいえ、伊藤さんにはかないません」
「あの人は、もう半分以上中国人みたいなものですから」
話す彼女の笑顔が麗しい。
「おハルさん、とおっしゃるんですか?」
「ええ、私の本名は迎春(インチュン)といいます。それで、お店では『春』という名前を使っているんですよ、単純でしょう? さあ、私みたいなおばさんじゃ退屈でしょうから……」