夕刻、Tシャツから白いワイシャツに着替えて鏡の前で幾度も身だしなみを確認してから部屋を出た。ロビーへと降りた隆嗣は、緊張の面持ちで待っていた。

 ホテル玄関から家族の一団が入って来た。先頭は白いワンピース姿の立芳で、微笑みながら真っ直ぐに隆嗣のもとへ向かって来る。その後ろから、両親とその間に挟まれた少女がゆっくりと歩み寄ってきた。隆嗣の動悸が早まる。

「お待たせ、紹介するわね」

 立芳が振り返って3人へ手を伸ばす。

「父の江偉良(ジャン・ウェイリャン)、それに母の淑敏(シュミン)」

 紺の落ち着いた装いの淑敏は目尻を和らげて会釈してくれたが、父の偉良は微かに顎を引いて頷いただけだった。茶色い上着の下、縞模様のシャツは腹部がけっこう膨らんでいる。立芳の輪郭や涼やかな目元などは母親似のようだが、人の好さを表すやや丸い鼻梁の先端は父親から受け継いでいると判った。

「そして、妹の迎春(インチュン)よ。こんど高中1年級(高校1年生)に進級するの」

 ピンクのシャツを着たショートカットの迎春は、大人ぶって右手を真っ直ぐに隆嗣へ差し出して握手を求めた。隆嗣はその手を優しく包み返す。

「お姉ちゃんの男朋友(彼氏)ね。カッコいいわ」

「ありがとう、君も可愛いね」

 お蔭で緊張がほぐれた隆嗣は、幾度も繰り返し練習した言葉を口にした。

「日本から留学して参りました、伊藤隆嗣と申します。立芳さんと仲良くさせてもらっています。今日はご家族の皆さんにお会いできて、大変嬉しく思います」

 揃ってホテル内にある中華レストランへと移動した。

「隆嗣さんは、杭州は初めてなんでしょう? せっかくですから、杭州料理を頼みましょう」

 淑敏が率先して注文してくれた。出てきた料理は、蘇東坡ゆかりの豚料理である東坡肉、龍井茶の茶葉と蝦を炒めた龍井蝦仁、草魚の甘酢あんかけの西湖醋魚など。淡水魚の臭みには少々抵抗があったが、他は日本人の口に合う味付けだ。

「父は国営繊維公司の経理(部長)をしているの。母も国営繊維市場で会計の仕事をしているのよ」

 そう紹介を受け、家族のみんなが当時の中国としてはスマートな装いをしていることに改めて納得をした。立芳がいつも小奇麗な格好をしているのも、そのためだろう。後から知ったことだが、杭州は昔から繊維産業が盛んで、特にシルクの名産地として有名だった。