「私は1935年にこの杭州で生まれた。戦時中、日本軍の兵士たちを恐怖して遠巻きに見たものだよ。そして、文化大革命の時代……私たちは巻き込まれないよう息を潜めて生きていたが、その嵐の中では、日本は天敵の一つとして教えられる存在だった。だから私も、正直かなり日本への反感を持っていた」
隆嗣は思わず目を伏せた。
「しかし、トウ小平同志が進める経済開放が、自分たちの公司にまで及び、初めて日本人たちと商売をしてみて驚いたんだ。こんな紳士的な人たちが、自分が幼い頃に見た恐ろしい日本兵と同じ国民なのかと」
偉良は手元の龍井茶を口に運び、口を湿らせて話を続ける。
「それに、日本が我々とは比較にならないほど豊かな国であることも知った。それならば、娘たち若い世代は、過去の怨讐に囚われず、自分たちの幸せのために積極的に外へ、日本へ目を向けるのも良いことではないかと考えるようになったんだ。今ではこの国も、それが許されるようになったのだから」
そこまで一気に話した偉良が、一つ咳払いをして口を閉じた。淑敏がそんな夫の顔を見遣ってから振り返り、笑顔で隆嗣に尋ねた。
「隆嗣さんは、いつまで上海に、華盛大学にいらっしゃる予定なの?」
慌てて隆嗣が答える。
「はい、私は来年の3月まで留学を続けるつもりです。中国と違って、日本は4月が新学期の始まりなんです。日本の大学を休学したままですので、来年は復学して就職を決め、卒業しなければなりません。できれば、中国と仕事ができる会社へ就職したいと思っています」
そのあとに、就職して自立できれば立芳を迎えに来ます、と言うつもりだったが、
「ご両親は何をされているの?」と、淑敏がすぐに話題を変えてしまった。
「父は公務員をしています。長崎県というところの県庁の職員なんです。母は専業主婦で、仕事はしていません」
「まあ、うらやましいわね。日本の女性は働かなくてもいいの?」
淑敏が明るい驚きの声を上げて夫を振り返ったが、偉良は黙ったままで応じない。
「今の日本では働く女性も増えていますが、習慣的には、やはり結婚したら女性は家庭に入るというのが主流ですね。でも、共働きが当たり前という中国は、それだけ男女平等が進んでいるからでしょう。日本の方が遅れているんじゃないですか」
隆嗣が普段から思っていたことを口にしたが、淑敏はお世辞と受け取ったようだ。