「遅れたままのほうがよかったわ。で、ご兄弟はいらっしゃるの?」
「妹が一人います。高校3年生で、今度大学受験です」
「あなたの妹さんなら、きっと綺麗なんでしょうねえ」
淑敏は、隆嗣への好意をそんな言葉で表現してくれた。明るくなった雰囲気に気を良くした隆嗣は、わざと顔をしかめつつ答えた。
「いいえ、じゃじゃ馬で困っています。勉強もせずにバスケットボールに熱中している男勝りで、色気はまったくないんですよ」
「迎春といっしょね」
横から立芳が言葉を挟む。
「それはどういう意味? 勉強のこと、それとも色気がないってこと」
迎春が口を尖らせる。
「迎春と同じなんていったら、隆嗣さんの妹さんに失礼でしょう」
淑敏がまぜっかえすと迎春はふくれっ面になり、ほかの皆からは笑い声が上がった。
打ち解けた楽しい宴が終りを迎え、隆嗣が店員へ「結帳(お勘定)」と声を掛けた。しかし、偉良が隆嗣を制して、自分が支払うと言い張った。
「君は杭州へ来たお客さんだ。それに、日本人がお金持ちということは私もわきまえているが、君はまだ学生じゃないか。だったら、ここは私が払うのが当然だろう」
横から立芳がそっと隆嗣の腕に手を添えて、父の意向に沿うことを望む表示をした。
「わかりました。ありがとうございます」
「西湖の白堤へは行ったのかね?」
偉良が話題を変える。
「はい、立芳さんの案内で見てきました。素晴らしい景色に感動しました」
ひとつ頷いてから偉良が言葉を繋ぐ。
「白居易がこの地の荊史をしていた時に、農地用灌漑のために作った堤だと言われている。だから白堤の名があるんだ……。白居易は知っているのかな?」
「もちろん、中国の代表的な詩人ですよね。日本でも有名です」
「うむ、有名な憶江南詞三首の一節でこう詠っている。
江南憶 (江南を憶う)
最憶是杭州 (最も憶うは是れ杭州)
山寺月中尋桂子 (山寺の月中に桂子を尋ね)
郡亭枕上看潮頭 (郡亭の枕上に潮頭を看る)
何日更重游 (何れの日か更に重ねて游ばん)
……是非、また杭州へいらっしゃい」
「はい。必ずまた参ります」
隆嗣は歯切れ良く答え、立芳は横で微笑んでいた。
(つづく)