放射線被曝による細胞や遺伝子への影響は、第2次大戦後から年々研究が進み、その危険性が科学的に明らかにされてきた歴史がある。

 ICRPの前身は1920年代から活動している科学者の任意団体だが、1950年に現在の名称となり、放射線許容量を発表してきた。各国はICRPの放射線許容量の数値を根拠にして国内法へ適用してきた。

 ICRPの放射線許容量は1950年から何度か改定され、毎回厳しくしてきた。1950年の年間許容量は150ミリシーベルトほどだった。もっとも、放射線技術者や原発作業者用の基準であり、一般公衆の基準ではないが。

 南太平洋などで核実験が頻繁に行われていた時代だ。筆者が小学生のころ(1960年代)、「放射能の雨に注意しましょう」と教室で先生によく言われたものである。フランスだけで南太平洋の核実験は200回くらい行なわれていた。

 ICRPは1960年に一般公衆の許容量を年間5ミリシーベルト程度とした。この基準が長く続いたが、チェルノブイリ原発事故(1986年)を受けて、1988-90年に改定された一般公衆の年間許容量は1ミリシーベルトまで下げている。この基準が現在も続いている。

 ICRPは2007年に大きく改定した。基準を変更したのではなく、原発の重大事故や核攻撃を受けた場合の緊急事態を想定した数値を発表したのである。

 この「ICRP2007年勧告」については、じつは日本の国内法にはまだ適用されていない。2010年1月に文部科学省の放射線審議会基本部会が「ICRP2007年勧告」の「国内制度等への取入れに係る審議状況について」という「中間報告」を出しただけである。

 日本国内で「ICRP2007年勧告」が制度化されていないので、専門家の意見の相違があらわになってしまい、国民が混乱するわけだ。