地震以降、熟睡感が得られない
コンピュータソフト会社管理職Yさん(45歳)
「いつか来るのでは…」
子どもの頃から抱いていた地震への不安
Yさんは静岡県の伊豆半島出身。この地域は防災意識が高く、「地震と津波には気をつけろ」と子どものときから両親に叩きこまれてきた。通っていた小学校の椅子にはいつも防災頭巾がかけてあり、避難訓練は毎学期欠かず行われてきた。また家の玄関には、避難リュックが置いてあり、半年に1回、避難グッズの缶詰の乾パンを新しいモノに取りかえるときに、母親がおやつとして出してくれるのが楽しみだった。
子どものときから「怖い、怖い」と言われ続けたせいか、Yさんは地震が怖くてたまらなかった。友人には「遊園地のジェットコースターが怖い」、「水が怖くてダイビングができない」という輩もいるが、どちらも自らやらなければいいだけのもの。Yさんは避けられない地震の怖さをいつも感じていた。
通勤の疲労を減らすために
会社近くの高層マンションに住む
コンピュータのソフト会社で働くYさんが属するチームは、残業が多く、終電近い帰宅が毎晩当たり前だ。会社から電車で10分。タクシーでも1000円程度の高層マンションに住むようになったのは、体力の衰えを感じはじめた40歳手前頃のことだ。海と川が見える1LDKは、引っ越したときよりモノは増えているが、週に1回定期的に来る掃除専門の業者のお陰で若い時より明らかに部屋は整頓されている。掃除の人が来ると思うと自然と片づけるクセがついた。
逆に食生活は若い時よりも明らかに貧しくなった。以前は、会社の帰りは同僚や先輩と居酒屋に飲みに行ったり、遅くまでやっている中華料理屋で定食などを食べていたが、今はほとんど無くなった。
普段、朝はファストフードや牛丼屋のモーニングメニュー、昼は同僚と近所の定食屋かそば屋。夜は近所のコンビニの弁当が多い。バブル入社ともてはやされ、社会に出たばかりの頃は、休日はゴルフや釣り、普段は飲み会なども多かったが、そんな誘いもほとんど無くなった。
伊豆の実家には法事でくらいしか帰省しない。実家では、兄夫婦が年老いた父親と一緒に住んでくれている。