東日本大震災では、震度7の激しい揺れに襲われた宮城県栗原市。道路の所々には、亀裂や段差がまだ生々しく残っている。
それでも新緑が眩い水田風景の中に、ロッジ風の棟が建ち並んでいる。子どもからお年寄りまでが、お互いに支え合えるような安心できる居場所として、99年に開設されたNPO法人「まきばフリースクール」(武田和浩理事長)だ。
被災地にある同施設もまた、ログハウスが倒壊するなど、少なからぬ影響を受けたという。
震災後、活躍する「引きこもり」たち
身元を問われないことで得られた行動力
就労支援によって、職場に近い家を借り、通い始めたばかりの青年は、地震の後の余震が怖くて、就労ができなくなり、自宅に戻ってきてしまった。
「過去の恐怖体験と重なったのでしょう。会社を休むと、ますます調子が悪くなる。ただ、最近では、こちらに通い始めることができるようになりました」(武田さん)
沿岸部の利用者の中には、母親が亡くなって、1人家にいた本人が助かったケースもある。父親は、遠洋漁業に出ていたため、本人が家でどう対応したのかはわかっていない。
一方、同じ沿岸部では、震災を機に、ボランティアで活動を始めた10代の引きこもりもいた。彼は、自分から市のボランティア協議会に入って、毎日、泥出しなどの作業に通っている。
泥出しに行くと、海外からも含めて、いろいろな人たちがボランティアに来ている。しかし、自分のことは、誰も知らない。「学校に行かなくてもいいのか?」などと、気にする人もいないのが、とても楽なのだろう。
そんな中で、瓦礫を片付けて、きれいにしてもらえれば、その家から、お礼もいわれる。
「引きこもっていると、誰にも感謝されない。他人に感謝されるのが、何よりも嬉しいんです。だから、彼はせっせとボランティアに行って、生き生きとしているそうです」(武田さん)
30代の男性は、電気や水道などのライフラインが止まっている間、どこに行けば、水がもらえるとか、どこで何時間並べば、食糧が手に入るといった情報をネットで入手。皆が身動きをとれないうちは、自ら他人のために買い物にも出かけていくなど、生き生きと活躍していた。
「震災のときは、ドサクサに紛れて、外に出れるんですよね。まず、自分の家に物資などを持ってきて、親にほめてもらう。すると、近所の困った家の情報を聞いて、今度はそこに物資を届けに行くんです。いざというときには、行動力があるんですよね」(武田さん)