その夜用意された会場は、シャングリラホテルの広東料理レストランだった。
最高級の海鮮中華を並べられたテーブルに着いた一同は、料理に箸を付ける暇もないほど、高い度数の白酒での乾杯攻めに晒された。
王紅と眼鏡男はもちろん、初めて会う副総経理や色んな部門の経理たちなど公司の幹部連が宴席に現れて、10名ほどの陣構えで臨んできた。人数で負けている上に酒豪揃いの中国側精鋭たちに、東洋ハウスの面々は次々に打ち負かされ、若い経理担当者などは、トイレに立とうとして腰に力が入らず椅子から転げ落ちる始末だった。
王紅は社交的微笑を見せていたが、ここでもあまり口を開かず、時折じっと観察するような視線を隆嗣へ投げかけている。
中国式宴会を熟知している隆嗣は、上手にあしらって少しずつ杯を口に運んでいたので酔うほどではなかったが、白酒に免疫のない日本人たちがこれ以上醜態を晒す前に切り上げるべきだと考えて、代表格である吉川副社長へ最後の挨拶を促した。
「本日は大変感激しております。東洋ハウスとして初めての海外進出となりますので、正直言いますと、今回私は不安を抱きながら中国へやってまいりました。しかし、建富開発公司さんという、実力があり活力溢れるパートナーを得て不安は払拭され、今は将来への期待が膨らむばかりです。今回の合作を足掛かりとし、この中国で共に発展していけることを確信しておりますので、今後とも何卒よろしくお願いいたします」
吉川の挨拶に対しても、王紅は杯を掲げて謝意を示しただけで、中国人が好きな演説や美辞麗句を並べることなく、簡略に散会を告げた。
宴会を終えた日中双方の面々は、ホテルのロビーに集っていた。吉川たち年齢が高い層は酔いに背中を押されて早く部屋へ戻りたいらしく、王紅らに握手を求めて感謝を述べると、早々にエレベーターホールへと去って行った。若い層は、公司の経理たちに誘われてどこかへ飲み直しに向かうようだ。
そこへ、王紅がハイヒールの音を響かせながら隆嗣のもとへ歩み寄って来た。
「本日はどうもありがとうございました」
挨拶に来たものと思った隆嗣が謝意を述べたが、彼女の口から出たのは意外な申し出だった。
「伊藤さん、よろしければ、今から私とご一緒していただけませんか?」
「え」不意を衝かれた隆嗣が返答に窮していると、彼女は重ねて誘った。
「あなたに会っていただきたい人がいるのですが……」
その謎掛けに、隆嗣の好奇心が疼き出した。今日ずっと王紅に対して抱いていた違和感の答えが差し出されるのだろう。
「わかりました」、隆嗣が応じた。