明るい声を響かせて帰っていく生徒たちを校門まで見送った教員は、振り返って校舎前の空き地を見渡した。実際には空き地ではなく校庭であったが、雑草の侵蝕が激しく、校庭端の境界線がどこなのか判らないほどだ。

「約束まで、まだ時間があるな」そう独り言を呟くと、彼は自分の昼食も忘れて校庭の除草に取り掛かった。

 鎌を持つ右手の人差し指は根元から無くなっており、左腕にも大きな傷跡があって、草を刈る手の動きがぎこちない。皺だらけの着古した開襟シャツの下にも、彼の苦難を物語る傷跡が数多刻まれていた。

 身体は懸命に雑草と格闘していたが、心は雑草とは別のところにあった。

 数日前に学校へ掛かってきた電話、その声の主を知って激しく動揺した。そして、その人物が今日ここへやって来る。脳裏に渦巻く過去の映像を整理することが出来ず、じっとしていれば叫び声を上げてしまいそうになる気持ちを抑え込むために、彼は黙々と草刈りに精を出した。身体を動かして汗を流さなければ、心の平衡を保てなかったのだ。

 刈られた雑草の山が3つほど出来た頃、幹線道路から学校へと繋がる砂利道を1台のタクシーがゆっくりと進入してきた。学校前で停車した車から背広姿の紳士が降り立ち、校庭を横切ってこちらへ向かって来る。

 草刈りの手を止めた教員は覚悟を決めて立ち上がり、首に巻いたタオルで汗を拭って男を出迎えた。

「隆嗣……」

「祝平……」

 互いの名を呼び合っただけで目が滲んでしまい、しばらく二人とも口を開くことが出来なかった。

 隆嗣は、丸いセルロイド製の黒縁眼鏡をかけた祝平を凝視した。分厚いレンズは昔のままだが、その奥の目尻や頬には深い皺が数え切れないほど貼り付いている。一番の変化は、その頭髪だった。頭頂部は禿げ上がり、もみあげや後頭部に僅かに残っている毛髪も真っ白だった。まるで60を越えた老齢と思わせる容貌が、彼が辿った過酷な日々を想像させる。

 祝平は、校庭隅の木陰に設けられている丸太を削ったベンチに隆嗣を誘い、一緒に腰を下ろした。