「そこで、ひとつ提案があって参りました」

 隆嗣の話は、まだ終わっていないらしい。

「慶子さんに、上海で仕事を続けて欲しいのですが」

「どういうことですか?」

 慶子より先に、洋介が疑問を口にした。

「公司は私の隆栄実業公司に吸収しますが、その中で仕事を続けてくれませんか?」

 隆嗣が能弁に語りだす。

「貿易業務だけではありません。私は、他に不動産の部門も持っており、上海で物件を探す日本人向けの仲介業もしています。今まで社員は中国人だけでしたが、日本人スタッフも必要だと思いましてね。もちろん、それなりの給料と住居を用意します、今回手に入れたマンションに住んでもらおうと考えていますが、いかがですか?」

 中国へ戻れる。あのマンションで暮らし、幸一がいる徐州まで機上1時間足らずで行ける上海へ……。顔を希望に輝かせた慶子だが、次の瞬間には現実を直視して首を振った。

「ありがたいお話をいただいて本当に嬉しいのですが、しかし、今の私は日本を離れるわけにはいかないのです」

 慶子は隆嗣の視線から逃れて俯いたが、そこへ洋介が大きな声を出した。

「馬鹿言うな。お前が日本を離れられないというのは、俺のことを心配して言っているのか? だとしたら、余計な気遣いだ。もう倒産の処理も一段落ついたし、気持ちの整理も出来た。今の俺に唯一気掛かりがあるとすれば、それは慶子、お前のことだ」

 父がそっと娘の肩に手を置いた。

「俺がここで隠棲するのは自業自得、自分でも納得している。しかし、そんな俺に付き合って、お前までもが人生を踏み外してしまうとしたら、俺は悔やんでも悔やみきれないほど辛いんだ。娘に一緒に苦しんでもらうより、離れていても幸せな道を歩いてもらうほうが、どんなに気が楽か……。それが親というものなんだ」

「お父さん……」

 心の琴線に触れるような言葉を、初めて父の口から聞いた慶子は、涙が溢れ出した。

 洋介が座りなおし、身を正して両手をついた。

「娘のために、いや、娘と幸一君のために、そこまでお心を砕いていただき、なんと御礼を言えばいいのか……本当にありがとうございます」

 その脇で、慶子も揃って頭を下げた。