招じ入れてくれたのは、6畳間の居間だった。小さな卓袱台に出された麦茶で遠慮なく喉を潤おした隆嗣は、さりげなく室内を見回した。
質素で飾り気のない部屋には、小さなブラウン管テレビの他には家具らしい物も見当たらない。開け放たれた窓のすぐ先には、隣との境界を示すブロック壁の灰色が迫っていた。かつて創業社長として成功者の名を冠された人物の住居としては、あまりにも寂しかった。
改めて慶子を見ると、地味な夏物のワンピースを纏っており、上海で見掛けた頃の快活な華やぎは影を潜めていた。父親の方は洗濯で色褪せたポロシャツ姿で、枯れた笑顔をこちらに向けている。
この半年で歩んだ棘の洗礼を自らが招いた運命と悟った洋介の、その淡白な表情を見て、隆嗣は安堵した。正直言うと、世を恨む鬼神のような顔を想像していた。
「幸一君には本当に世話になった。彼は元気にしていますか?」
洋介の声にも濁りはない。隆嗣は、これならば大丈夫だろうと思った。
「ええ、元気にしていますよ。実は、彼とマレーシアへ出張していたんです。慶子さんには申し訳ないが、山中君には仕事のため真っ直ぐ中国へ戻ってもらい、私だけ日本へ帰ってきました」
「それで、お話というのはなんでしょうか?」
卓袱台のコップに麦茶を注ぎ足しながら慶子が問う。突然の訪問が何を意味するのか判らず、不安な気持ちを隠しきれないようだ。
「上海の川崎装飾貿易公司は、私が買い取ることにしました。債権を握っている銀行と交渉し、公司の投資額である30万ドルで手を打ちました」
意外な申し出に、親娘で顔を見合わせる。
「いったい何のために……。あの会社はすでに休業状態で、何の値打ちもありませんよ」
洋介の言葉に慶子も頷き、怪訝な顔を隆嗣へ向ける。
「公司が所有しているマンションだけでも、それ以上の価値はありますよ。もっとも、銀行の連中もそんなことは知っていながら、外国の不動産を処分する面倒を疎んじて、放っておいたままにしていたんでしょうがね」
幸一と一緒に過ごした思い出と共に懐かしいマンションの間取りを脳裏に描いた慶子は、自分が父と暮らすこのアパートと較べて寂寥感が湧いてきた。知らない人手に渡るよりも、伊藤さんの物となった方が良かったのだ、そう自分に言い聞かせる。