多数の犠牲者が出た三陸地方に対して
津波で死者を出さなかった茨城県大洗町
津波の巣――。いつしか人々は、岩手県から宮城県にかけての三陸地方をこう呼ぶようになった。東北の三陸地方は、過去、地震に伴う大津波に何度も襲われたことで知られている。
今年3月11日、この三陸沖で世界観測史上5番目、日本観測史上最大となるマグニチュード9.0の大地震が発生し、沿岸の自治体を最大遡上高40.5mの巨大津波が襲った。岩手県と宮城県の死者・行方不明者・負傷者数は、今回の震災で発生した人的被害の9割近くを占め、2万5000人を越えた(6月上旬時点)。
「津波は矢のように速い」「少しでも逃げ遅れたら命の保証はない」
1896年の「明治三陸地震」や1933年の「昭和三陸地震」による大津波で、多くの犠牲者が出たこの地域では、津波の恐怖をこう語り継いで来た。その恐怖が風化しかかっていた21世紀、大津波は人々の記憶の隙間につけこむかのように、再び牙を剥いたのだ。
テレビニュースで津波が襲来する模様を見ていた全国の人々も、現地の人々と同じ恐怖を共有したに違いない。
その一方、今回の大震災に伴う津波で深刻な被害を被りながら、1人も犠牲者を出さなかった自治体をご存知だろうか。それが茨城県大洗町である。
被害規模が大きい東北三県(岩手、宮城、福島)の陰に隠れて目立たないものの、茨城県が被った被害は小さくない。地震による被害が大きかった北茨城市に加え、この大洗町も津波の猛威に晒された。
しかし大洗町では、傷者が6名出たものの、津波による行方不明者と死亡者はゼロだった(正確に言えば、地震により1名の死亡者が出ている)。同町は「過去に台風などによる浸水被害はあったが、津波を経験するのは今回が初めて」(町役場の職員)という。現在の住民に津波の経験がないのであれば、被害が拡大する可能性は高かった。にもかかわらず、犠牲者が1人も出なかったことは不幸中の幸いと言える。
県庁所在地の水戸から自動車で約30分、太平洋岸に位置する大洗町の人口は、約1万8300人。県内有数の漁業基地として知られ、夏季は50万人を超える海水浴客で賑う観光地でもある。