慌てて空いているカウンターへ進んだ李傑は、自分のパスポートを差し出して、ブース内にいる入国管理官の若造を睨み付けた。俺は徐州市の共産党常務委員なんだという誇りが、こんな時にも頭をもたげる。
しかし、その若造は李傑の視線にたじろぐどころか、パスポートの名前を幾度か見返した後で睨み返し、「そこで待つように」と言って手元の電話を取り上げ、なにやら上司へ報告を始めた。
彼が立つカウンターは若造の手で閉鎖され、後続の到着客たちへは別のカウンターへ移動するよう指示が出された。そこで初めて焦りを感じ始めた彼のもとへ、入国管理官の制服を着た中年男が、若い部下を二人引き連れてやって来た。
「調べたいことがあるので、別室まで同行してください」
「何を言ってるんだ。俺は徐州市の共産党常務委員だぞ。こんな無礼が許されると思っているのか」
李傑の怒声を浴びせられても、その中年男は顔色一つ変えない。
「存じております。さあ、こちらへ一緒に来てください」
顎で部下に命じ、若い管理官が李傑を左右から挟んで連行しようとする。
抗おうとする李傑の目に飛び込んできたのは、イミグレーションカウンターの先で、まるで人ごとのように無表情でこちらを眺めている隆嗣の姿だった。その口元が何かを伝えようと動いている。
読唇術など知らぬ李傑だが、その時ばかりは彼が何を言っているのか直勘で判った。「再見」だ。
数メートル先に佇む彼へ向かって駆け出そうとするが、若い腕に両脇を固められて身動きできない。すると、隆嗣は背中を向けて歩き出し、到着ゲートがある1階へと続く下りのエスカレーターへ身を移した。その姿が下から上へと消えていく光景を、李傑はスローモーション映像のように感じ取った。
この感覚はなんだ。昔同じようなことがあったぞ。そう、あれは立芳が地へ這う瞬間を見届けた時の感覚だ。
狭い取り調べ室に連れ込まれた李傑を、空港税関の班長と名乗る男が出迎えた。
「徐州市共産党委員会常務委員、李傑ですね。あなたには我が国の外国為替管理法違反の容疑がかかっております」
「何を根拠に……」反論しようとする彼を制して、冷静な役人が任務を遂行する。
「先ずは身の回りの品を確認させていただきます。背広を脱いで渡してください。キャリーバックと、その肩から吊るしているバッグも、こちらへ出してください」
反射的に李傑が黒いトラベラーバッグを両手で押さえた。
「いや、これは……その」
この獲物は愚かにも自分から標的を教えてくれた。税関職員は李傑の左右に立つ若い管理官に指図して、そのバッグを肩から強引に抜き取らせた。
ジッパーを開けると、米ドル紙幣が目に入った。その束を一つずつテーブルの上に並べながら、役人が勝ち誇ったように宣言する。
「我が国では、申告なしに5000米ドル以上の持ち出し、ならびに、持ち込みを禁じております」