テロを完全に防ぎたければもはや
「内心の自由」を制限するしかない

 これだけの厳重な監視体制を築けば、フランスのような自動小銃を乱射する同時多発テロが起きることはない。だが、それでもテロは起きてしまった。ロンドンやマンチェスターのテロを起こした犯人については、自爆テロを賛美するなど「過激な言動」を繰り返していたという情報が、英情報局保安部(MI5)など治安当局に何度も提供されていたのだという。

 しかし、いくら過激な言動があったとしても、それだけで不審な人物を逮捕はできなかった。その人物が仲間と集まって集会を開いたりする「組織的な動き」を見せることがなく、銃器などの武器を購入したりすることもなければ、警察は動きようがないのだ。そして、自宅元々あるナイフをもって暴れたり、自家用車に乗って、突如群衆の中に突っ込んだり、自宅で作った手動爆弾で自爆したりされると、対応のしようがなかったのである。

 要するに、欧州の事例が明らかにすることは、テロを完全に防ぎたければ、過激な言動があったと警察に通報があった時点で、即座に拘束・取り調べができるようにするしかないということだ。つまり、「内心の自由」という人権を制限するしか、テロを防げないということなのだ。実際、英国のテリーザ・メイ首相は、「人権保護規定を修正してでも過激派の摘発を強化する」と表明した。テロ対策と人権保護の関係は、あらためて考え直してみる時期にきているのだ。

テロを完全に防ぎたい日本人には
「内心の自由の制限」論議が必要だった

 日本の国会で「テロ等準備罪」を審議する際、本当に重要だったのは、この「欧州の現実」を直視することだったのではないだろうか。現在のところ、日本は国際テロリストの関心の対象にはなっていないかもしれない。また、テロが起きるとすれば、それは安倍晋三首相の「好戦的」な態度のせいであり、首相が退陣すれば、日本は元の「平和国家」に戻り、テロは起きないという主張もあるかもしれない。しかし、これらはなにも根拠がない、ただの希望的観測に基づいた考えに過ぎない。