“詫び、寂び”のもてなしを求めて
蕎麦好きが「はなれ」に迷い込んでくる
今日の手打ち蕎麦の全盛を創り上げてきた先人たちが、かつて信州や東北の山村で遭遇したのは、マンツーマンのもてなし蕎麦だった。80歳を過ぎたおばあちゃんが目の前で蕎麦を打つ。太い棒に蕎麦を巻いて叩く。それは客に楽しんでもらって、蕎麦の滋味を味わってもらう、古からの接待であった。
先人たちはそこに蕎麦打ちの本質的な課題を見つけたという。それは、心を通わせる対話であった。蕎麦職人は語り部でなくてはいけないということを教えられた。
今、「はなれ」ではカウンターを挟んで、亭主がその信州の奥地のもてなしの心を客に与えてくれる。
客の面前で古を語るような蕎麦打ちを続ける。トン、トン、トン……と、心地よい包丁の切り音が客の心に懐かしい思いを蘇えらせてくれる。
どうしたら、客の心までをも接待することができるのだろうか?
茶懐石から生まれたもてなしもそのひとつの答えだ。懐に温石を抱く、それは客が亭主の懐にあたたまるように、料理が一瞬に消え逝く儚(はかな)さを思うものでもある。蕎麦屋はそこに手繰(たぐ)りの粋と江戸の華を咲かせようとしてきた。
利休が四畳半の空間のなかに、“侘び、寂び”のもてなしの宇宙を見つけたとき、それが日本人の身体にDNAとなって住み着いた。「市中の山居」、利休の天才性はまずはそのあり場所に価値を見出した。侘びと寂びの風情は市中にあってこそ価値があると発想した。
隠れ家、それは都心にあって価値が倍化する。「はなれ」に蕎麦好きが迷い込むのは仕方のないことだ。
蕎麦が二椀と蕎麦掻き、締めの一笊
まさに蕎麦三昧の趣向を通す
「スタンダードな蕎麦懐石を創り上げたい」と矢守さん。
「はなれ」の懐石には付き出しや前菜、箸休めの間に、蕎麦が二椀と最後の締めの一笊(ざる)があり、蕎麦掻きも入る、蕎麦三昧の趣向を通す。これは締めだけに蕎麦を出す、料理中心の蕎麦懐石と一線を画している。
「おいらは蕎麦屋でござい」――。矢守さんはどうしてもそこを大事にしたいのだ。