「回してみますか?」のひと言で客が石臼を回す
自ら挽いた粉で作られた蕎麦掻きはまさに絶品
前菜の前の蕎麦掻きの饗応には驚くかもしれない。亭主から「手挽き臼を回してみませんか」と声が掛かるのだ。
京都の石臼造りの達人によって、「はなれ」の開店に合わせて製作された臼は、とても滑らかで、素人でもスムースに回すことができる。臼を回すことの楽しさに、誰もが心を躍らせるはずだ。
客が自ら挽いた蕎麦粉は、類い稀なる蕎麦の香りをのせた、ぽってりした蕎麦がきになってカウンターに運ばれる。この時、いつの間にか自分たちの会話が心地よく響いている。人をうらやまない、他人を攻撃していない、すこし建設的になっている心根があることに気付く。外界を離れた処のなせるものかもしれない。
それが隠れ家の本来のもてなしのなせる技で、天才利休の「市中の山居」が真に求めたものかもしれない。
亭主との会話を楽しみながら
目の前で打たれる蕎麦を見る贅沢な時間
さて、いよいよお待ちかねの面前での蕎麦打ちだ。
「蕎麦を打っている間でも遠慮はいりません。何でも聞いてください」と矢守さんは言う。
その柔和な顔のためか、ひと一倍若く見られる矢守さんは、「もう少し貫禄があれば……」と気にするが、逆に客はそのほうが気楽になれる。蕎麦の初歩的なことや、こだわり親父には怖くて聞けない質問ができる。
矢守さんの手先を見ていると、実に簡単に蕎麦を丸めてしまう。蕎麦切りも客と話しながら、いとも簡単にやってしまう。