町蕎麦の3代目に生まれ、祖父、父と2代に渡って守ってきた看板を替えて自信満々で始めた手打ち蕎麦屋は惨憺たる客の入りだった――。修行先の名店「竹やぶ」で身につけた蕎麦打ち技術をゼロから見直し、苦闘の末にたどり着いた境地とは。
琥珀色の灯りに照らされる店内で、蕎麦と料理が織りなすエンターテインメントを心ゆくまで楽しみたい。

宵の口、琥珀色の灯りに照らされた店内で
酒を楽しみながら、ゆったりとした時間を楽しむ

 江戸時代後期には蕎麦屋は3763店あったとされる(出典:「守貞漫稿」※1)。俗に江戸は八百八町というが、それは慣用句のようなもので、中期には1678町との記録がある。それでいくと町内には2店から3店は蕎麦屋があった計算で、同じくらい屋台や天秤担ぎ蕎麦があったようだから朝からえらい騒ぎだっただろう。

ある雑誌の覆面調査で「じゅうさん」は1位にランクされた。その評価を決定付けた粗挽きの田舎そば。粗挽きの蕎麦掻も高い評価を受けた。

「砂場」、「更科」、「長寿庵」、「藪」などが入り乱れ、あそこがうめいや、いやあっちが好みよとなるから、そこは当然、蕎麦屋のランキングを付けるものが現れる。

 文政7年度版のガイド本、「江戸買物独案内」※2には飲食の人気店が特集してあって、その中に蕎麦屋も20店入っている。これは今の「食べログ」に匹敵するようなものだった。

「じゅうさん」は、「食べログ」(飲食店の情報サイト。掲載店は口コミとランキングで評価される)で蕎麦屋部門6位(2010年7月データ)にランキングされた店だ。その時のランキング上位46店を選んで、ある雑誌が行った覆面調査では1位に入っている。

新江古田駅から徒歩7~8分。手打ち蕎麦屋らしいお洒落な門構え。ウインドウには、“そばを打つ 自分を打つ”という師の言葉が。

「僕もその記事は見たけれど、記者と蕎麦との相性だったと思った。たまたまです」と、亭主の高橋定雄さんが言う。蕎麦屋はそんな単純な評価で決まるものではないというのだ。

 新江古田駅から歩くこと7~8分、目白通り沿いに店がある。蕎麦屋2代目の父親の店を6年前に改造して手打ち蕎麦屋らしい店を造った。

 
※1 「守貞漫稿」:江戸時代の風俗を解説した一種の百科事典。著者は喜田川守貞で天保8年(1837年)に着手し、30年間で35巻を編纂した。1600点余の図解と当時の風俗が解説され、江戸の文化史の貴重文献とされる。
※2 江戸買物独案内(えどかいものひとりあんない):文化文政期に江戸市民や他国からの漫遊のために刊行された情報誌。今の時代と同じようにスポンサーを募り、その店舗と商品を紹介するショッピングとグルメのガイド本。人気店として料理屋60店、鰻屋20店、鮨屋20店、菓子屋120店、そうめん屋10店、蕎麦屋が20店が入っている。