頭が真っ白になるほどの「絶望的な状況」

 それは、人生最大の危機のときもそうでした。
 このとき、私はショックのあまり頭が真っ白になりました。何も考えられない、身動きすらとれない……。そんな絶望的な状況に追い込まれたのです。

 あれは1996年のこと。3年前にテクスケム・リソーセズをマレーシア証券取引所で上場。加えてその後、順調に業績を伸ばしていた蚊取り線香などの製造販売を行う殺虫剤メーカーも上場させようと準備を進めていました。その会社は、当時マレーシア国内のベストブランド20に入るほどの有名企業に成長していました。上場すれば大きな話題になるのは間違いない状況でした。

 ところが、これがトラブルのもとになりました。
 トラブルの背景は少々説明が必要です。マレーシアで1970年代に始まったマレー人を優遇するブミプトラ政策が背景にあるからです。これは、1969年にマレー人と華僑の間でマレーシア史上最悪の人種暴動事件が起きたことを受けて始まった政策です。

 この暴動は突発的な事件ではなく、歴史的な経緯がある根深い問題です。マレーシアという国はマレー人、華僑、インド系の人々、その他の少数民族という複雑な人種で構成されており、一番多いのはマレー人で全人口の6割以上を占め、その次が華僑で約25%、続いてインド系が約8%となっています。華僑とインド系の人々はイギリス植民地時代に労働力として連れてこられた人たちの子孫が中心ですが、華僑は有能でよく働くので、イギリス人に重用されてきたこともあって、歴史的に富裕層が多いという現実があります。

 ところが、マレーシアが独立をすると、選挙では数的に勝るマレー人が圧倒的に強く、マレー人主体の政府が出来ました。こうして、政治的にはマレー人が優位に立ち、経済的には華僑が優位に立つ状況が生まれ、この“ねじれ”が暴動の遠因となりました。そこで、民族間の格差を緩和するためにマレー人を優遇するブミプトラ政策が推進されたのです。

 そして、殺虫剤事業の上場を準備していたころは、ブミプトラ政策が最も先鋭化していた時代でした。この政策はあらゆる政策領域に及ぶもので、株式上場についても規定がありました。それは、上場企業は発行株式の30%を政府が承認するマレー人に与えるというもの。さらに最低でも15%は一般投資家に放出しなければならないので、オーナーの持ち分は最終的には55%。株の25%をパブリックに放出するのが世界のスタンダードですから、極めて特異な規定でしたが、一企業としては従わざるをえませんでした。

「この条件を飲まなかったら上場停止にする」

 私は、ブミプトラ政策に従って、長年の知人であるマレー人3名に10%ずつ株式を譲渡する方向で政府の承認を取り付けました。その3人のマレー人には、将来、役員になってもらって協力してもらうつもりでした。そして、15%の株式のうち2%を従業員に割り当て、残り13%を一般公募すると市場にアナウンスしたところ、なんと62倍もの応募が殺到。まさに熱狂的な反応でした。

 こうして万事整い、あとは私が証券取引所に行って鐘を鳴らすだけというところまで来たときでした。インド人の女性弁護士が私のところにやって来ました。そして、「ミスターX」の代理人だと告げました。「ミスターX」とは閣僚経験もある超大物のマレー人政治家。彼女は、当然の要求だと言わんばかりに、こう言ってのけました。

「株式の30%を寄越しなさい」

 あまりに非常識な要求に、私は笑って拒絶しました。

「今ごろ何を言ってるんですか? もう3人のマレー人は政府が承認してるじゃないですか。そんなことができるわけがありませんよ」

 しかし、彼女は落ち着き払ってこう言いました。

「代わりの人を用意している。政府も認めます」

 そこで、私は決裁権限をもつ女性閣僚の名前を出しました。その女性閣僚はクリーンな政治家として知られている人物で、まさかそのような不正を認めるわけがないと思ったのです。ところが、弁護士は顔色ひとつ変えませんでした。

「彼女にも事情があるから、よほどのことがない限り、ノーとは言えないでしょう」

 つまり、主要な政治家や官僚は全部押さえてあるということです。そして、こう付け加えました。「政府のことは私たちの問題だから、心配しないでください。1200万株を上場価格で一枚の小切手にして渡してあげます。それで、ミスター・コニシは大金持ちになって悠々自適じゃないですか。全然問題ないでしょう」

「ちょっと考えさせてくれ」

 そう伝えると、驚くべき返事が返ってきました。

「あまり時間はありませんよ。この条件を飲まなかったら上場停止にします」

 上場が認められたのは3ヶ月ほど前。すでにほとんどの手続きが完了し、世間にも知れ渡り、大勢の一般投資家が応募していました。驚いて、「本当に上場停止なんて、できるんですか?」と聞くと、彼女は「そんなの簡単ですよ。監督官庁がノーと言ったら、それでおしまいなんだから」と答えました。

「上場手続が完了したいまごろ監督官庁はノーと言えるんですか?」
「それは、あなた次第です」

 たしかに、当時の監督官庁トップは英国で経済学博士号を取った秀才でしたが、ミスターXが送り込んだ人物でした。証券取引所も、彼らの完全な制圧下にあったわけです。目の前が真っ暗になりました。

「また明日来ますからね。明日には絶対返事をください」

 女性弁護士は、そう言い残して帰って行きました。