いまメディアで話題の「マレーシア大富豪」をご存じだろうか? お名前は小西史彦さん。24歳のときに、無一文で日本を飛び出し、一代で、上場企業を含む約50社の一大企業グループを築き上げた人物。マレーシア国王から民間人として最高位の称号「タンスリ」を授けられた、国民的VIPである。このたび、小西さんがこれまでの人生で培ってきた「最強の人生訓」をまとめた書籍『マレーシア大富豪の教え』が刊行された。本連載では、「お金」「仕事」「信頼」「交渉」「人脈」「幸運」など、100%実話に基づく「最強の人生訓」の一部をご紹介する。

明るい方へ、明るい方へと歩き続ける

 明るい気持ちで生きていたい……。
 私は、常々、そのように生きたいと思ってきました。自分の人生を振り返って、ときどき思うことがあります。もしかしたら、私は「熱帯の空」のような明るさを求めて生きてきたのではないか、と。

 私は能登半島の出身です。いまでは故郷として愛着を感じていますが、若いころには違う印象をもっていました。なにせ、晩秋からの半年間は常に鉛色の雲が立ち込める土地柄ですから、呑気に育った私にもどこか陰鬱なものが心のなかにあったのです。

 抜けるような青空をはじめて見たときのことは忘れられません。東京の大学を受験するために急行列車に乗っているときのことです。長いトンネルを抜けると、車窓から信じられないような青空が一気に広がった。あれを見た瞬間、「フェアではない」という思いがこみ上げてきたのを覚えています。こんなに明るい世界があるなんて不公平だ、という思いです。そして、「ああ、こんな空のもとで生きたい」と心の底から思いました。

 マレーシアに魅了されたのも、同じことだったのかもしれません。“出来上がった国”でないこと、イギリス植民地時代から営々と築かれてきた自由主義の伝統とインフラの存在など、マレーシアを「戦う場所」と決めた理由は多々ありますが、究極的には、この青い空、穏やかな気候のもとで明るく生きていきたい、ということだったのかもしれないと思うのです。

 いわば、私は明るい方へ、明るい方へと向かって歩いてきた。これこそ、私の人生を貫いてきたものではないかと思います。もちろん、住む場所だけではありません。精神的な意味においても、常に明るい方へと向かって歩いてきたと思うのです。

「恐怖心」を乗り越える言葉

 その思いの根っこはどこにあるのか?
 この歳になって思い当たるのは、幼少時から心に刻んできた言葉です。

「心に太陽をもて、唇に歌をもて」

 小学校3年生の夏休みに出会った言葉です。実は、当時、私はたいへんな吃音で、ちゃんと話をすることができませんでした。伝えたいことがあるのに、伝えようとした瞬間に詰まって言葉が出てこない。これは、ほんとうにつらい経験でした。

 心配した父が、小学校3年生の夏休みの1ヶ月間、吃音の矯正をするための学校に通わせました。その学校で毎朝必ず唱和したのが「心に太陽をもて、唇に歌をもて、そうすりゃなんだって怖くないんだ」という詩だったのです。

 この学校に通ったことで、吃音はずいぶんとよくなりました。とはいえ、小学校、中学校の間は話すのが苦手で苦しい思いをしましたが……。今でも、音によってはグッと言葉が詰まることもあります。だけど、長年の訓練のおかげで、株主総会でもあらゆる質問にひとりで対応しますし、パーティなど大勢の人に対してスピーチするのも平気です。どんなに緊張を強いられる地位の高い人物とでも堂々とコミュニケーションが取れます。

 そんな私を支えてくれているのが、「心に太陽をもて、唇に歌をもて、そうすりゃなんだって怖くないんだ」という言葉なのです。太陽とは「明るさ、情熱、希望」の象徴。どんなにつらいときでも、心に太陽をもち、どんなに落ち込んでいても、歌をうたってそれを跳ね返すという意味でしょう。そうすれば、どんな恐怖にも打ち勝てる。そう励ましてくれる言葉なのです。

 吃音の人は、話すことに対して恐怖心を持っています。当時、私も恐かった。だけど、この言葉を何度も何度も心のなかで唱えることで、少しずつその恐怖心を乗り越えることができたのです。それ以来、私はこの言葉をいつも心の中にもって生きてきました。どんなに苦しい状況に追い込まれても、この言葉を支えに、明るい方へ、明るい方へと顔を向けて一歩ずつ歩いてきたのです。